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朝から空が低かった。雪になるほどではないけれど、雲が重く、部屋の中まで色が薄い。
アレクシスはキッチンで、トースターの前に立っていた。
パンが焼ける音を聞きながら、タイマーを見ずに感覚だけで待つ。
この家に来てから、こういうことが増えた。
リビングのソファでは、真白が膝を抱えて座っている。
上着は脱いだのに、マフラーだけがそのまま首に残っていた。
「それ、外し忘れてる」
声をかけると、真白は自分の首元に触れて、
「あ」と小さく声を出す。
「寒くて……」
「暖房ついてるけど」
「でも、なんか……」
言い終わらないまま、マフラーを指で引き寄せる。
外す気はないらしい。
アレクシスは何も言わず、パンを皿に移した。
バターの匂いが立ち上る。
冬の朝に一番分かりやすい幸福の形。
「コーヒー、飲む?」
「飲む」
短いやりとり。
でも、返事の間がちょうどいい。
マグカップを二つ並べると、真白はようやく立ち上がった。
その動きで、マフラーの端が少しずれ落ちる。
「……それ、巻き直す?」
「うん」
アレクシスは一瞬だけ迷ってから、真白の前に立った。
手を伸ばし、マフラーの端を整える。
指が首元に近づくと、真白の肩がわずかに強張る。
でも、逃げない。
「冷えてる」
「外、寒かったから」
布を整えながら、距離が縮まる。
息が混じらないぎりぎりの位置。
「……冬、苦手?」
真白は少し考えてから、首を振った。
「嫌いじゃない。ただ、油断すると……」
言葉を探すように、視線が泳ぐ。
「一人だと、静かすぎる」
アレクシスは手を止めた。
それ以上詰めない。
代わりに、マフラーをきちんと整えて、軽く叩く。
「はい。完成」
真白は照れたように笑った。
「ありがとう」
朝の光が弱く、ふたりの影は薄い。
でも、その分、輪郭が近い。
テーブルにつくと、真白はパンをちぎって口に運んだ。
噛むたびに、肩の力が抜けていくのが分かる。
「今日、出かける?」
「うーん……」
真白は窓を見る。
「この空だと、家がいい」
「同意」
アレクシスは即答した。
「じゃあ、今日は冬ごもりだね」
「それ、好きな言い方」
コーヒーを一口飲む。
少し苦くて、ちゃんと温かい。
マフラーは、まだ首に巻かれたままだ。
でも、さっきよりも意味が変わっている。
外の寒さの名残ではなく、
ここにいるための布みたいに。
アレクシスはカップを置き、何気なく言った。
「寒かったら、言って」
「うん」
「言わなくても、たぶん分かるけど」
真白は一瞬、目を丸くしてから笑った。
「それ、ずるい」
「そう?」
「うん。でも……」
少し間を置いて、
「ありがたい」
冬の朝は静かで、ゆっくりで、少し不安定だ。
でも、同じ部屋で、同じ温度を共有していると、
それだけで十分だと思える。
マフラー越しに、真白の息が白くなることはない。
ここはもう、外じゃないから。
ふたりは何も決めず、
何も急がず、
そのまま朝を過ごしていた。