テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「なぁ、久しぶりに行こうぜ、カラオケ。三人で」
最初に言い出したのは、弟の颯馬だった。
笑っていた。何もなかったみたいに。
その笑い方が、昔から苦手だった。
「……俺、明日ちょっと、朝早いし」
「は? なにそれ。昔は夜通し歌ってたじゃん、なあ晃司」
二人の笑い声が重なった。
その輪の外に、自分だけが取り残されていることを、遥は知っていた。
行かない、とは言えなかった。
“行かない”と言った瞬間、彼らの笑顔がどう変わるかを、もう何度も見てきたから。
カラオケボックスの空気は、乾いた酒と汗の臭いで満たされていた。
壁の薄さの向こうから、別の部屋の笑い声が漏れてくる。
マイクを握ると、晃司がすぐに肩を叩いた。
「お、遥、歌えよ。“例のやつ”」
“例のやつ”。
幼いころ、兄たちが勝手に選んだ歌。歌詞の一部を変えて笑いものにされた曲。
もう何年も聴いていないのに、イントロが鳴っただけで喉が塞がった。
「……もう、いいだろ、それ」
「なに、ノリ悪。まだ覚えてんの? ガキの頃のことなんてさ」
笑いながら、颯馬がデンモクを操作して音量を上げた。
歌声が、ほとんど悲鳴にかき消される。
「ほら、ちゃんと歌えよ。せっかく遊んでやってるんだからさ」
無理に笑った。
声が裏返った瞬間、颯馬が机を叩いて笑い転げた。
ドリンクバーの氷が溶ける音だけが、やけに鮮明に響いていた。
「よし、次、焼肉行こうぜ! 腹減った!」
外に出たとき、夜の風が少し冷たかった。
カラオケの空気よりもずっとやさしいと思った。
でも、それもすぐに錯覚だと気づく。
彼らの笑い声が、また背中を掴んで離さない。
焼肉屋。煙が立ちこめ、油の匂いが鼻を刺す。
網の上で肉が焼ける音が、妙に耳に刺さる。
「遥、焼けてんぞ。早くひっくり返せよ」
「お前、昔から気が利かねぇんだよな。何年経っても変わんねぇ」
笑いながらも、箸が遥の手を弾いた。
指先に熱い脂が飛ぶ。
「……熱っ」
「なに? 大げさだな。お前、ほんと弱いよな」
颯馬が笑いながら、肉を自分の皿に移した。
「お前さ、“人と関わる練習”とかしてんの?」
「なんかさ、存在がズレてるよな」
「こういう奴、将来どうなるんだろ」
笑い声が、油の弾ける音に混じって弾けた。
晃司がビールを注ぎながら、何気なく言った。
「それでも“家族”だもんな。なぁ、遥。家族って、ありがたいだろ?」
その言葉に返事をしようとしたけれど、喉が詰まった。
ただ、笑った。
笑うしか、方法がなかった。
夜が更ける。
肉の焦げた匂いと、笑い声と、グラスの音が混ざる。
その中で遥は、静かに思う。
──いつまで、こうして笑えばいいんだろう。
──いつまで、“家族”の顔をしていればいいんだろう。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!