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夜の空気が、まだ少しぬるい。
昼間の熱がアスファルトに残っていて、靴底からじわりと伝わる。
郊外のコイン洗車場は、遅い時間でも灯りがついていた。
真白はホースを持ったまま、水を止める。
「こんな時間に洗う人いるんだ」
「いる」
アレクシスはタオルを肩にかけたまま答える。
「昼は人多いから」
「夜の方がいい?」
「静かだし」
確かに静かだ。
水の音と、遠くを走る車の低い音だけ。
泡がボンネットを覆っている。
白い泡が街灯を反射して、少し青く見えた。
「そこ、もう少し」
「ここ?」
「うん」
真白はホースを動かす。
水が流れる。
泡が崩れて、黒い車体が出てくる。
しばらく、何も言わない。
ただ手を動かす。
こういう作業は、無言の方が楽だ。
でも、一人より二人の方が速い。
アレクシスがタオルで拭き始める。
水滴が、夜の光の中で細かく弾ける。
「……手、冷たくない?」
「ちょっと」
「貸して」
真白の手を軽く取る。
濡れている。
自分の手も濡れている。
少しだけ、触れたまま。
「冷えてる」
「水だから」
「分かってる」
離す。
でも距離はそのまま。
車の屋根を拭く。
肩が触れそうで触れない。
「夜にこういうの、初めて」
「洗車?」
「うん」
「悪くないでしょ」
「悪くない」
拭き終わる頃には、水滴もほとんど消えていた。
車体が街灯を映す。
少しだけ、きれい。
真白はホースを片付ける。
アレクシスはタオルを絞る。
蛇口をひねる音。
水が止まる。
急に静かになる。
さっきまでの水音がなくなると、夜が近く感じる。
少し離れて車を見る。
「きれい」
「うん」
「明日また汚れる」
「それでもいい」
真白は軽く息を吐く。
湿った空気が肺に入る。
「こういう時間さ」
「うん」
「なんか、落ち着く」
アレクシスは頷く。
「分かる」
洗車場の灯りの下。
特別な場所じゃない。
でも、夜の空気がゆっくり流れている。
真白は助手席のドアを開けた。
座らない。
ただ寄りかかる。
アレクシスも反対側から寄りかかる。
屋根越しに、気配がある。
「帰る?」
「うん」
「少しだけ、このままでもいい?」
「いいよ」
空を見上げる。
星は少ない。
でも、ひとつだけはっきり見える。
風が少し吹く。
濡れた匂いが、夜に混ざる。
真白は目を閉じた。
ほんの数秒。
何も起きない。
でも、それで十分だった。
「行こっか」
「うん」
ドアが閉まる音。
エンジンがかかる。
洗車場の灯りが後ろに流れていく。
夜はまだ続いていた。