テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
管野アリオ
733
#大人ロマンス
桃下結衣
208
#ロマンスファンタジー
Jasmine
1,008
澄んだ黒い瞳に見つめ返され、いたたまれなくなった賢は、志絵に気持ちを隠すように、背筋をピンと伸ばしながら彼女の横を通り過ぎる。
この試合をもって、彼は高校時代の青春を捧げてきた野球部を引退した。
二学期に入ってからも、吹奏楽部は毎日練習に明け暮れているようで、放課後に各教室のあちこちから様々な楽器の音色が、賢の耳元を掠めていく。
(吹部……八月の大会で、いい成績を残したんだろうな……)
彼は漫然(まんぜん)と思いながら昇降口を後にすると、校門を通り抜け、帰路に着く。
しかし、九月の連休明けに学校で見掛けた志絵の憔悴しきったような表情に、賢の喉元がキュっと摘まれ、言葉を失った。
(総長のヤツ…………何だか様子が変じゃね……?)
教室に一人でいる事が増えていき、親友・南伊享の彼女でもあり、吹奏楽部の亜美が心配そうに、時々志絵の様子を伺いに来ていた。
志絵は、困惑気味に眉尻を下げると、『私は大丈夫』とでも言っているのだろう。
右手で手を振り、亜美がいなくなると思い詰めた表情で、机の上に視線を落としていた。
いつも元気で、よく通る声の持ち主の志絵が、暗い表情を覗かせているのを初めて見た賢。
今にも泣きそうになっている志絵を、励ましたい気持ちはあるものの、行動に移せずじまい。
(夏の予選決勝でサヨナラ負けをした時、総長は俺に声を掛けてくれただろ。だったら『お疲れ』くらい言ってやれよ自分……!)
賢は、自身を鼓舞するように大きくため息をついた。
『そっ……総──』
志絵を呼ぼうとした瞬間、授業開始のチャイムが鳴り響くと、賢は、彼女に話し掛けられなかった事に苛立ち、小さく舌打ちをして渋々教室に戻っていった。
同じ頃、プロ野球のスカウトが、賢を目当てで藤森学園高校に来校するようになった。
熱心に誘ってくれたのは、福岡の球団、ハードバンクファルコンズ。
日本シリーズで数度チャンピオンになった、パ・リーグの王者だ。
後日、校長室で話し合いの場が持たれ、ファルコンズのスカウト部長とスカウト関東地区担当者、賢と彼の両親、校長、担任教諭、野球部の顧問が同席。
夏の予選決勝ではサヨナラ負けを喫したものの、賢の力強いピッチングに無限の可能性を感じた、とスカウト関東地区担当者が熱弁を振るう。
賢がファルコンズに入団したら、藤森学園高校初のプロ野球選手だ。
大学に進学するか、就職して社会人野球でプレーするか、卒業後の進路を迷っていた彼にとって、こんな機会は、もう二度とないかもしれない。
『…………是非、入団したいと思ってます』
話し合いの結びに、賢は腹を据え、言葉を噛みしめるように答えた。
十月末に行なわれた、プロ野球ドラフト会議。
校内には、記者会見用のスペースが設けられ、賢は神妙な面持ちで校長と野球部顧問と並んで座ると、その横には野球部の部員たちが集まり、テレビモニターを注視していた。
名前を呼ばれるのを待っていると、周りには様々なメディアがカメラを構え、彼の様子を撮影している。
そして──。
コメント
1件
もう野球部引退して、志絵ちゃんのあの沈んだ表情を見てるのに声かけられないもどかしさ、すごく伝わってきた……。夏の決勝で自分が励まされたのに「お疲れ」の一言すら言えない自分に苛立つ賢の心情、リアルだなあ。プロ入りの話も動き出して、青春の終わりと新しい一歩が交錯する感じがとても好きな回でした。