テラーノベル
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午後の相談室は、時計の音だけがやけに響いていた。
曇天の光が薄く差して、部屋全体が色を失ったみたいに静かだ。
扉が少しだけ開き、顔を覗かせるように生徒が入ってきた。
制服の襟は少しよれていて、寝癖を直しきれない髪が揺れている。
目の下のクマが、何を言うより先に“限界です”と告げていた。
「……その、今朝……思ったんです」
声がかすれていた。
蓮司は机にもたれたまま、視線だけを向ける。
促さないし、優しくもしない。ただ聞く姿勢だけ。
「“今日を始めたくない”って。
布団から出ようとすると、胸のあたりがぎゅっとして……」
言葉が途切れ、息だけが落ちる。
蓮司はペンを置き、まばたきも遅く問い返した。
「それ、今朝だけじゃないだろ」
あまりにあっけらかんとした言い方だった。
相談者は顔を上げ、驚いたように固まる。
「……どうして、そう……」
「どうしてって顔してるけど、見ればわかる。
“今日を始めたくない”って、
何度も思ってきた人の顔だよ、それ」
相談者は口を閉じ、俯いた。
沈黙がしばらく続く。
「今朝だけなら、たぶん来ない。
わざわざ相談に来るってことは──
お前、もうずっと昨日からも、一昨日からも、始めたくなかった」
淡々としているのに、逃げ場がない言葉。
相談者は膝の上で指を絡め、声を落とした。
「……認めたくなかったんです。
“頑張れない”って、言いたくなくて。
言った瞬間に……全部が終わりそうで」
「終わりじゃなくて、限界ってだけ」
蓮司はあくまで一定の声で言う。
「限界を言ったら怒られる家とか、部活とか。
そういう場所にいると、朝が一番つらくなる。
夜は“終わった”で誤魔化せるけど、
朝は“また始まる”が確定してるから」
相談者の肩が小さく震えた。
図星すぎて反論できないときの震えだった。
「……寝ても休まった気がしなくて。
朝になると、“また今日が来た”って思って。
どうやって動けばいいのか……」
「動けてるじゃん」
「……え?」
「ほら、来たろ。ここに。
“今日を始めたくない”って思いながら、
ここまで歩いて来られたわけ」
蓮司は肩をすくめる。
「始められてんじゃん。
自分で思ってるより、ずいぶん動いてるよ」
相談者は唇を噛み、じっと手元を見つめた。
「でも……すごく苦しいです。
始めたくないのに、始めるしかなくて……」
「それが続くと、人間は壊れる。
派手にじゃなくて、静かに」
蓮司の声だけが、冷たいのに妙に温度を持って響いた。
「だからさ、“始めたくない日”に無理矢理始めるのは危険。
止め方を知らないまま走っても、折れるだけ」
「……じゃあ、どう休めば」
「知らないなら、今日ここで覚えろ」
蓮司は机の端を指先で軽く叩く。
「まず、こうして話す。
それで十分、止まれてる。
大げさじゃなく、ここに来た時点で一回ブレーキ踏めてるから」
相談者はゆっくりと目を上げた。
視線が揺れている。
「朝始めたくない日ってのは、
“もう限界近いから誰かに気づいて欲しい”って体からのサインだからな。
気づいたやつが、自分を無視すんなよ」
蓮司は立ち上がり、窓の曇った空を一度見る。
「とりあえず、今日はここで止まっとけ。
帰る前にもう少し話すなら聞く 」
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