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相談室のドアは、ノックもなく静かに開いた。
入り口に立ったまま、しばらく動かない影。
蓮司は顔を上げず、書類に目を落としたまま言った。
「閉めとく? 開けとく?」
「……閉めて」
小さく呟く声。
ドアがそっと閉まる音がして、ようやく足音が近づいた。
「座る?」
「……うん」
椅子に腰を下ろすまでが、やけに長い。
何を話すか迷ってる、というより、
“話していいのか”で止まってる感じだった。
「で?」
蓮司はそれ以上促さない。
急かしもしない。ただ待つ。
「……別に、何かされたわけじゃないんだけどさ」
相談者が先に、言い訳みたいに切り出した。
「怒られたとか、責められたとか、ない。
みんな普通。優しいし、問題もない」
「うん」
「でもさ……何もしてないのに、
“サボってる”って思われてる気がして」
言葉が宙で止まる。
「誰も言ってないのに。
目も合わせてるし、会話も普通なのに……
頭の中でずっと“怠けてる”“足りてない”って声がする」
蓮司はようやく視線を上げた。
「それ、外じゃなくて内側だな」
「……わかってる。
自分で自分を責めてるだけってのも」
相談者は苦笑いをした。
「でも止まんないんだよ。
何もしてない時間があると、
“今も評価下がってる”って感覚になる」
蓮司は少し首を傾げた。
「評価って、誰の?」
「……わかんない」
「だろ」
否定でも肯定でもない声。
「相手の顔が浮かばない評価って、
だいたい昔から染みついたやつだ」
相談者の眉がわずかに動いた。
「昔、何かやらかしたってわけじゃなくても、
“ちゃんとしてないと怒られる空気”の中にいると、
何も起きてなくても警報鳴りっぱなしになる」
「……今はもう、そんなことないのに」
「関係ない。
体と頭は、もう覚えちゃってる」
蓮司は机にもたれ、少しだけ笑う。
「“何も起きてないのに苦しい”ってやつ、
サボりじゃなくて、むしろ疲労の症状だから」
相談者は驚いたように目を上げる。
「頑張ってる自覚がないまま、
ずっと緊張したまま生きてると、
何もしてない時間=罪みたいに感じるようになる」
「……じゃあ、俺……」
「責められてるんじゃない。
自分で自分を追い込むクセが抜けてないだけ」
蓮司は淡々と言った。
「それ、“ちゃんとしなきゃ”で生き延びてきた人間に多い」
相談者はしばらく黙り、深く息を吐いた。
「……何もしないでいい時間って、
どうやって過ごせばいいんだろ」
「最初は居心地悪いままでいい」
「え?」
「“何もしてない”って感覚が出てきたら、
ああ今まで休憩ゼロで走ってたなって思えばいい」
蓮司は立ち上がり、窓の外を見る。
「落ち着かなさは、失敗じゃない。
ブレーキ踏んだ証拠」
それ以上は言わない。
説得もしないし、希望も振らない。
でも相談者は、来たときより少しだけ、
肩の力が抜けていた。
「……また来ていい?」
「来たいならな」
それだけで会話は終わる。
静かなまま、相談室の時間が流れ続けていた。