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「……おいおい。どんな間違いだよ、これは」
その声を聞いた瞬間、蓮司は椅子の背にもたれたまま天井を見上げた。
そして、笑った。
「ここ、相談室だぞ? 沙耶香が迷い込む場所じゃないんだが」
カツ、と音を立ててヒールが床を打つ。
沙耶香は何も言わず、淡々と椅子に腰を下ろした。
「なに、暇つぶし。あんたの“カウンセラーごっこ”、どんなもんか見に来ただけ」
「……なるほど。それで、俺に会いに来るほど暇だったと。そりゃ光栄だな」
「暇じゃない。ただ“選んだだけ”。あたしに意味のある時間は、自分で決める」
沙耶香の声は静かで、温度がない。
けれど、その言葉の一つひとつが、蓮司の首をゆっくりと絞めるように響いた。
「で、今日は何の相談だ。人の壊し方か? それとも――俺の飼い方でも教えてくれる?」
蓮司は冗談めかして笑ったが、沙耶香は目すら細めなかった。
「飼ってるなんて思ってない。あんたは“擦り寄ってくる獣”でしょ。必要なら撫でるし、邪魔なら蹴る。ただそれだけ」
蓮司は唇を歪めた。
なぜか、そう言われた瞬間、胸の奥がすとんと落ち着いた。
「……お前、やっぱり壊れてねぇな」
「うん。壊れたら、面倒だから。あたしにとって“感情”は余計なノイズ。便利なふりでしかない」
沙耶香の視線は、まっすぐ蓮司を刺してくる。
まるで、嘘を一つも持たない氷の塊のような眼差しで。
「ねえ、蓮司」
初めて、沙耶香がその名をやわらかく呼ぶ。
その音だけが、どこか残酷なやさしさを帯びていた。
「今、ここで“弱い子”たちの真似事してるあんたって、ちょっと可愛いよ。惨めで」
「……やめろって。そういうの、俺、弱いから」
蓮司は目を伏せ、笑った。
肩をすくめながらも、逃げるように手元の書類をいじる。
「それでも、来るんだな。お前は俺のところに」
「そっちが勝手に“求めてる”だけ」
「じゃあ……それでもいい」
蓮司はぼそりとつぶやいた。
「それでも、お前が来てくれるなら、俺はここにいる」
沙耶香は答えなかった。ただ、無言のまま立ち上がり、椅子を押し戻す音だけが部屋に残った。
去り際、彼女は一度だけ振り返る。
「蓮司。勘違いしないで。“依存されてる”とわかってて、会いに来てるだけ。あたしにとっても都合がいいから」
「知ってるよ。それが、お前らしいじゃん」
蓮司は笑う。いつもの飄々とした、薄い笑み。
けれどその胸の奥では、凍った鎖が音を立てて軋んでいた。