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ゆぴ
54
スミレ
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2,307
保健室には、静かな空気が流れていた。
カーテンが半分だけ閉められ、外から聞こえる授業中の声も遠い。
遥は浅く息を繰り返していた。
額には冷却シートが貼られ、布団は胸元まで掛けられている。
保健室の教師が体温計を確認し、小さく息をついた。
「今日はここで休みなさい」
返事はない。
聞こえていないのか、それとも返す力が残っていないのか。
教師は記録だけを書き込むと、カーテンを少し開けて外へ出ていった。
保健室には、日下部だけが残る。
椅子を引き、ベッドの横へ腰を下ろす。
しばらく何も言わない。
静かな時間だけが過ぎていく。
遥はゆっくりと瞼を動かした。
ぼやけた視界の先に、人影がある。
最初は誰か分からなかった。
何度か瞬きを繰り返して、ようやく輪郭がはっきりする。
「……日下部」
掠れた声だった。
「起きたか」
それだけ返す。
いつもの調子だった。
だからこそ、遥は少しだけ安心してしまう。
その感覚に気づき、すぐ目を閉じた。
安心するな。
また同じことを繰り返す。
期待した分だけ苦しくなる。
そう何度も自分に言い聞かせてきた。
「水、飲めるか」
遥は小さく首を横へ振る。
嘘だった。
喉は渇いている。
けれど、何かを受け取ること自体が落ち着かなかった。
日下部はそれ以上勧めない。
「じゃあ、後でいい」
無理に飲ませようともしない。
無理に話をさせようともしない。
その距離感が、遥にはかえって分からなかった。
「……何で」
ぽつりと声が漏れる。
日下部が顔を上げる。
「何で、そこまで」
言葉は途中で途切れた。
理由を聞きたいわけではない。
理解したいだけだった。
自分には当たり前ではないことを。
日下部は少し考え、それから肩をすくめた。
「放っとけなかった。それだけ」
短い答えだった。
飾りも、気の利いた言葉もない。
遥は視線を布団へ落とす。
その一言が、妙に胸に残る。
家でも学校でも、誰かが自分を気にかける理由を考える癖がついていた。
何か目的がある。
何か見返りがある。
そう考える方が自然だった。
なのに、目の前の相手はそれ以上何も求めてこない。
それが、一番分からなかった。
保健室の時計が静かに時を刻む。
どちらも話さないまま、その音だけが二人の間に流れていた。
コメント
1件
よかった…。保健室の静かな空気、遥の「期待するな」って自分に言い聞かせる感じ、すごく伝わってきた。日下部の「放っとけなかった。それだけ」の距離感、短いのに優しさがにじんでて刺さる。飾らない言葉だからこそ遥の胸に残るんだろうな。続きが気になる。