テラーノベル
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教室の窓は少し開いていたが、外の音は遠く、ここにある空気は異様に濃かった。黒板にチョークで大きく書かれた文字――「今日のテーマ:過去」。
「なあ、昨日の夜の話はもう聞いたしさ。次は、もっと前。ガキのころの話しろよ」
「そうそう。お前んち、ヤバいんだろ? 俺らに教えてくれなきゃ、点になんねえ」
声が飛び交う。笑い混じりの命令。
遥は机の上に両手を置いたまま、動けなかった。
胸の奥でざわつく吐き気。呼吸を乱さないよう必死に抑える。
「……やだって顔すんなよ。ほら、言え。どんなふうに“教育”されてたか」
「そうだな、ちゃんと話さねえと──日下部の点数、マイナスにしてやろっか?」
その名前が出た瞬間、遥の喉が硬直した。
小さな音でも拾われる。クラス全体が待っている。
「……ちっちゃいころ……」
かすれた声で言い出すと、机を指で叩いてせかされる。
「はっきり言えって。もっとだ。映像が浮かぶくらい細かく」
「……小学校のとき。……宿題の字が汚いって言われて……紙、破かれて。頭、机に何度も打ちつけられた」
「おお、いいね! 何回?」
「……五回くらい……血が出るまで」
笑い声が起きる。
「それだけ? まだあるだろ。痛えとか泣いたとか」
「……泣いたら……もっと強く押さえつけられた。声、出すなって……」
沈黙が落ちる。すぐに次の命令。
「次は? 別の日は?」
「……部屋の中、鍵かけられて。真っ暗で、トイレも行けなくて……泣いて……」
「時間は? 一晩? 二晩?」
「……二晩」
「へえー! 生きてたんだなあ」
「なあ、もっと面白いのねえの? 殴られたとか蹴られたとか」
遥は唇を噛んだ。だが名前が再び出る。
「ほら、早く言えよ。じゃなきゃ──日下部に試してみっか? “暗い部屋に閉じ込め”ってやつ」
血の気が引く。
頭を振って、必死に声を出す。
「……蹴られた。……靴のまま、腹を」
「どんなふうに?」
「……息できなくなるくらい……声出すなって言われて」
笑い声、机を叩く音。
誰かが「もっと詳しく!」「どんな顔してたか言え!」と追い打ちをかける。
「……顔は……笑ってた。痛がるの見て、笑ってた……」
自分の声が、自分じゃないみたいだった。
切り取られた過去を、玩具みたいに弄られている。
「よし、十分点になるな。けどさ、まだ態度が悪い。次も期待してるぜ?」
遥は下を向いた。視界が滲む。
守らなきゃならない名前が頭に浮かび続ける。
そのたびに、言いたくもない記憶を掘り起こして差し出すしかなかった。
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