テラーノベル
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暴力は、特別な出来事でなくなった。
朝、遥が教室に入る。
昼休み、廊下を歩く。
放課後、階段を使う。
そのどれかで――必ず、起きる。
「お、今日も来た来た」
「逃げないの、マジで偉い」
声は軽い。
もう“制裁”でも“教育”でもない。
ただの確認作業だ。
遥の腹に拳が入る。
昨日と同じ位置。
衝撃は、確実に体の奥へ沈む。
「……っ」
息が詰まる。
声は出さない。
それが彼の“学習”だった。
倒れると、もう一人が足を出す。
脛、太腿、腰の横。
骨を狙わない。
痣が目立たない場所だけ。
人数差が、そのまま蹴りの数になる。
「ほら、息しろよ」
「死なれたら困るし」
笑い声。
周囲の空気は、もう驚かない。
視線が一瞬向いて、すぐ離れる。
日下部が何も言わない
蓮司も止めない
それが“安全”のサインになっていた。
「なあ、日下部」
誰かが呼ぶ。
日下部は机に座ったまま、顔を上げた。
「今日も静かだな」
それは確認であり、同調の要求だった。
日下部は一拍置いて、答える。
「……別に、俺に関係ないし」
口にした瞬間、胸の奥で何かが剥がれる感覚があった。
だが同時に、奇妙な安堵もあった。
期待されていない
責任を負わなくていい
蓮司は、それを遠くから見ていた。
視線を合わせない。
だが、確実に把握している。
放課後、廊下。
「最近さ」
蓮司が日下部の隣を歩きながら言う。
「お前、楽そうだよね」
日下部は否定しなかった。
「前より、顔色いい」
「余計なこと考えなくて済むからじゃない?」
その言葉は、正解だった。
遥の声が聞こえない。
助けを求められない。
だから、罪悪感も発生しない。
「……あいつ、弱いよな」
日下部は、初めてそう言った。
言葉にした途端、戻れない線を越えた気がした。
蓮司は、少しだけ笑った。
「弱いっていうか」
「居場所がないんだよ」
断定。
しかし、断罪ではない。
「誰も必要としない場所にいるやつって、自然とそうなる」
それは説明だった。
だから日下部は頷けてしまう。
「俺が離れたのも、悪くなかったんだな」
無意識に、そう零す。
蓮司は立ち止まり、日下部を見た。
「悪いとか、良いとかじゃないって」
「お前が壊れない選択、しただけ」
その言葉が、完全に日下部を包んだ。
——俺は選んだ。
——逃げたわけじゃない。
その認識が、彼を“安全圏”に固定する。
その頃、遥は階段裏で膝を抱えていた。
壁に背を預け、呼吸を整える。
胸が痛む。
いや、胸だけが、まだ痛む。
殴られることには、慣れていた。
痛覚は鈍らない。
だが、驚きは消える。
「……そういう役、なんだろ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
日下部が来ない。
来ないことに、もう希望を置かなくなっている。
それでも。
胸の奥で、小さく拒むものがある。
これは正しくない
勝手に決められる筋合いはない
声にすれば、また蹴られる。
だから、内側で灯す。
蓮司は、校舎の反対側でその“空気”を確認していた。
遥は抵抗しない
日下部は関与しない
周囲は納得し始めている
——役割は、固定された。
あとは壊すか、使うか。
蓮司は思う。
どっちも、俺次第だな
その計算の中に、罪悪感はない。
あるのは、ただの支配欲と、
それを飄々と覆い隠す余裕だけだった。
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