夜。玄関の灯りが落ちている。
家の中には、時計の針の音しかない。
「遅かったな」
晃司の声が階段の上から落ちてくる。
その声には怒りも苛立ちもない。
ただ、確認のような響きだけがあった。
遥が返事をするより早く、
手の甲が頬を打った。
乾いた音が一つ。
それで、すべてが始まる。
「顔は一発で。あとは腹でいいんじゃない?」
怜央菜が淡々と告げる。
その口調はまるで家事の段取りを決めるようだった。
晃司はゆっくりと近づき、
遥の肩を壁に押しつけた。
指先で首の下を軽く押さえる。
「学校、楽しかったか?」
返事を待たない。
そのまま、もう片方の手で腹を押し込むように殴る。
静かな部屋で、肉の奥で潰れる音だけが響いた。
「沙耶香、タオル持ってこい。血がつく」
「わかってる。床も拭いておいて」
沙耶香は何の感情も見せずにタオルを投げた。
颯馬が無言でそれを拾い、遥の足元を拭く。
「……まだ力抜けてねぇな」
晃司が小さく呟く。
「これじゃまた明日、顔に出るぞ」
手のひらで遥の頬を軽く撫でるように叩き、
そのまま指先で顎を持ち上げた。
「泣くな。泣くと“終わらせたくなる”」
遥は動けなかった。
涙が出ないのではない。
出したら、空気が止まるのがわかっていた。
怜央菜が溜息をつき、
「もういいでしょ。壊したら意味ないじゃない」と呟く。
晃司は頷き、最後にもう一度腹を軽く蹴った。
「覚えとけ。お前は俺らの“確認”で生きてんだ」
その言葉が、静かに部屋を締めた。
沙耶香が片づけを終え、
手についた血を洗いながら振り返る。
「ねぇ晃司。今日、学校でも同じことされてたみたいよ」
「……そうか。じゃあ続きは向こうに任せる」
玄関の外で、風が鳴った。
その音が、遥にはどこか教室の笑い声に似て聞こえた。







