テラーノベル
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放課後の教室。窓の外では夕陽が傾き、朱色の光が黒板を斜めに切り取っている。その光景さえも、日下部には悪意を帯びて見えた。
背中に感じるのは机の冷たさ。両腕を押さえつけられ、笑い声が降り注ぐ。
「なあ日下部、昨日の遥みたいに“素直”になれよ」
耳元に吐かれる声は、からかいよりも獲物を解体する冷たさを孕んでいた。
――昨日の遥。
床に額を擦りつけ、泣きながら「日下部には触るな」と懇願していた姿。
その光景が脳裏から離れない。
あの必死さが、逆に彼らを喜ばせてしまったことも。
「嫌だって言えば言うほど、アイツがまた頭下げるぜ?」
吐息混じりの声に、日下部の胸が凍る。
そうだ。抵抗すれば、必ず遥が割って入る。自分を庇い、代わりに傷つけられる。
それを見たくない――ただその一心で、日下部の口は閉じた。
「おい、聞こえねえぞ」
頬を平手で打たれ、視界が揺れる。
机の縁に頭が当たり、鈍い痛みが走る。
「……っ」
息を呑むが、叫ばない。
叫んだら、遥がまた立ち上がる。
「おとなしいなぁ。あの“口答え日下部”はどこ行った?」
笑い声が弾ける。
「ほら脱げよ。昨日遥がやったみたいにさ」
無理やりシャツの裾を引かれ、ボタンが弾け飛ぶ。
冷たい空気が肌に触れた瞬間、全身がこわばった。
「嫌なら、あいつ呼んでくる?」
わざとらしく遥の名前を口にされ、日下部は喉を震わせる。
その言葉は刃物より鋭かった。
――呼ばせてはいけない。
ここで抵抗すれば、また遥が“自分の代わり”になってしまう。
「……わかった。やる」
低い声で吐き出した瞬間、周囲の笑いが一段高くなる。
「ははっ、聞いたか? あの日下部様が折れた!」
「いいねえ。そうだよ、それでいいんだよ」
拳を握りしめた。悔しさで爪が食い込み、掌に血が滲む。
それでも顔は上げない。歯を食いしばる。
“俺が従えば、遥は巻き込まれない”――その一点に縋るしかなかった。
「ほら、声出せよ。“お願いします、もっとやってください”ってさ」
「遥、昨日やったよな? お前もやれって」
歯がきしむ。
心が折れる音が、自分で聞こえた気がした。
喉に鉄の塊を押し込まれるように、声が出ない。
だが沈黙は許されない。
「……お願いします……」
自分の口から漏れた声が、ひどく遠くに聞こえた。
机の周りで爆発する笑い声。
「ははっ、完璧だ! 遥とおそろいじゃん」
「二人で並べたら、もっと映えるんじゃね?」
その一言で、全身が凍りついた。
並べられる――。
自分だけで済むと思ったのに。
結局、どれだけ屈しても、奴らは二人を並べて“玩具”にしようとする。
悔しさに奥歯が割れそうになる。
だが叫べない。拒めない。
拒めば――また遥が泣きながら代わりを申し出る。
その姿を二度と見たくない。
だから従うしかない。
従うことが、守る唯一の方法なのだと信じ込むしかなかった。
――守れているのか。
本当に?
その疑念が喉を焼く。
だが笑い声がそれをかき消す。
「明日は二人でだな」
「どっちが先に音を上げるか、ゲームにしようぜ」
血の気が引いていく。
それはつまり、遥を守るための従順さが、また新たな嗜虐の火種になるということ。
日下部は、机に伏せた視界の奥で唇を噛んだ。
血の味が広がっても、涙は出なかった。
ただ、遥の泣き顔が浮かんで離れない。
“これ以上、俺のせいで泣かせるわけにはいかない”
その決意が、皮肉にも彼をさらなる地獄へ導いていくのだった。
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