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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
白椿トイズの会議室は、思っていたよりも静かだった。
壁には歴代商品のポスターが並び、中央の長机には資料がきっちり揃えられている。夢のある会社のはずなのに、空気はずいぶん現実的だった。
新人歓迎を兼ねた顔合わせ会議だと聞いて、クリストルンは勝手にもう少しやわらかい場を想像していた。ところが前に座る社員たちは皆、笑っていても目だけは仕事の温度をしている。
企画部、開発部、経理部、広報部、そして経営企画室。
エマヌエラが進行を務め、新人たちに簡単な自己紹介を促していく。何とか順調に進んでいたはずなのに、最後の一言で、クリストルンの中の何かが勝手に立ち上がった。
「では、今後やってみたいことを一つずつ」
言われた瞬間、彼女の口が先に動いた。
「親が子どもに、一言だけ預けられる玩具を作りたいです」
会議室の空気が止まる。
クリストルンは、しまったと思った。もっと無難に、「子どもたちに笑顔を届けたいです」とか何とか言う流れではなかったか。なぜ自分は、一言だけ、などと限定までつけたのか。
それでも止まらなかった。
「忙しくて言えないこととか、近くにいるのに照れて言えないこととか、あると思うんです。だから、玩具がその言葉を預かれたら——」
「それ、聞きたい」
前の席から、ひょいと手が挙がった。
広報部のペトロニオだった。人の良さそうな笑顔で、空気の固さを溶かすみたいに首をかしげる。
「たとえば、どんな一言?」
「えっ」
「『早く寝なさい』だと怖いか」
「それは、ちょっと夢がないです」
「じゃあ『ちゃんと見てるよ』とか?」
その言葉に、クリストルンは一瞬、胸をつかまれた。
「……そういうのです」
会議室の何人かが、わずかに表情を変える。
だが次の瞬間、冷えた声が入った。
「感情だけでは商品にならないわ」
経営企画室長、エドワインだった。
すっきりとした身なりに、無駄のない口調。紙をめくる指先まで迷いがない。その視線がクリストルンに向けられると、見透かされるような気分になる。
「市場規模、継続性、価格帯、事故防止。夢は数字に置き換えなければ会議を通りません」
「……はい」
声が小さくなる。
隣でルチノが資料から目を上げた。
「だが発想そのものは記録しておけ。企画は最初から整っている必要はない」
ぶっきらぼうだが、否定ではなかった。
エマヌエラが場を戻すように手を打つ。
「はい、では新人らしい勢いのある意見でした。議事録にも残しましょう」
会議はそのまま進んだ。
けれど、クリストルンは終始、エドワインの視線が自分から離れない気がした。
退出のとき、ペトロニオが横に来て小声で言う。
「僕はけっこう好きだよ、その案」
「本当ですか」
「うん。うち、そういうの足りないから」
何が足りないのかは言わなかったが、その笑顔の奥に、少しだけ影が見えた。
会議室を出る直前、クリストルンは振り返る。
エドワインは無表情のまま、彼女の書いたメモに視線を落としていた。
まるで、その一言を値踏みするように。