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学校の廊下は、新入生説明会のざわめきで微かに揺れていた。遥は配布資料を抱え、胸の奥を押さえながら机の前に立つ。前に並ぶのは新入生の兄弟とその保護者。小さな視線の輪の中で、彼は慎重に声を整え、言葉を紡ぐ。
「こちらが校内の案内です。見学の際は、通路を譲り合って歩いてください」
声は正確で落ち着いている。だが、自然な温かみはない。肩の奥の緊張がほどけず、手のひらの汗が紙にしみる。
結城の弟は目を輝かせ、声を弾ませる。
「僕、すごく分かりやすかった! 桐生さんって、本当に親切ですね!」
その瞬間、結城の視線が硬くなる。表向きは静かに弟の隣に立つが、目の奥で遥を徹底的に測るような冷たい光が光る。心の中では、吐き気がするほどの軽蔑が渦巻き、弟の無邪気さに苛立ちを覚える。
(……なんで、あいつみたいなのが褒められるんだ……)
結城の心はねじれ、表情には出さずとも、空気で遥を押さえつける。周囲の加害者たちは、その空気を嗜むように観察し、微かに笑みを漏らす。
遥は短く頭を下げ、声を押し出す。
「ありがとうございます。皆さんが気持ちよく見学できるよう、気をつけています」
手は小さく震え、胸の奥は凍りつくように重い。彼の目線は、弟には向いていない。結城が、視線を通して静かに重みを加え、周囲の加害者たちもその様子を確認して楽しんでいる。
弟は資料を受け取り、楽しげに話しかける。
「本当に分かりやすかったです!」
遥は小さな声で応え、もう一度頭を下げる。
「……ありがとうございます」
そのとき、結城は低く、しかし明確に軽蔑を込めた声で心の中で呟く。
(……あんなやつ、信用するなよ)
言葉は弟に届かない。だが、遥には痛みのように深く刺さる。息が詰まるように胸が押し潰され、肩は縮こまる。紙の上で手が微かに震え、言葉を選ぶ一秒一秒が恐怖と自己嫌悪で張り裂けそうになる。
(……俺は、また、ただの役立たず……)
思考は自然に、しかし止められずに流れる。自分を守るための言葉すら、喉に絡まって出てこない。
周囲の加害者たちは、目を逸らさずにその光景を見守る。無言の合図、微かな視線の揺らぎ、笑みの端。すべてが遥を押し潰すための仕掛けのように組み込まれている。
「質問はありますか?」
司会の声が遠くに響く。だが、遥の耳には結城の軽蔑の方がずっと大きく響く。視線の奥の冷たさが、まるで手を伸ばせば押さえ込めるかのように、身体の隅々まで絡みつく。
(……逃げたい。消えたい。でも、消えられない……)
胸の奥で震える声を抑え、遥は資料を握り直す。表情は平静を装い、言葉を続ける。
「見学の際は、教室や廊下で走らないようにお願いします。安全第一です」
短い一文だが、言葉を出すごとに肩の緊張は増し、汗がさらに滲む。結城は視線を逸らさず、まるで遥が今にも壊れるのを待っているかのようだ。周囲の加害者たちは、笑みを保ったまま、微かな揺らぎで楽しむ。
弟が遥の背後で小さく笑い、楽しそうに資料をめくる。だが結城の目は、弟には決して届かない冷たい光を遥に向けたまま。遥は紙を握る手をさらに強くし、震える声で次の説明に進む。心の奥は、無言の攻撃に押し潰され、言葉を発するたびに痛みが広がる。
廊下の空気は乾き、息が詰まる。資料を渡し終え、微かに頭を下げたとき、遥はその冷たい視線に押し潰されながらも、ただ立ち続けるしかなかった。