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部屋には椅子がふたつ。机も窓もない。ただ、白い壁と、息を呑むような静けさ。
中央に座るのは、遥だった。
足を組み、視線を伏せたまま、うっすら眠っているようにも見える。
向かいの椅子に、少女がいる。
両手を膝に置いたまま、指先だけが小刻みに震えている。
沈黙が、十分ほど続いた。
「……誰にも、言えなかったんです」
遥は眉ひとつ動かさない。だが、わずかに息を吸った気配だけがあった。
「みんな、うまくやってるように見える。楽しそうに笑ってて……わたしだけ、いつも浮いてて……」
少女の声は淡々としていた。
泣くわけでもなく、怒るわけでもなく。ただ、底のない井戸に向かって独り言を言っているような。
「学校、怖い。家も嫌い。朝が来るのが苦痛で、夜は目を閉じるのが怖い。
誰にも、助けてほしいなんて思っちゃいけないって……自分に言い聞かせてきたんです。
でも、限界なんです。――もう、いいかなって。終わりにしても……」
遥はゆっくりと目を開けた。
睨むわけでも、驚くわけでもない。ただ、静かに彼女を見た。
そして、言う。
「……死にたいって言えば、誰かが止めてくれると思ったか?」
少女は息を呑んだ。
「――いや、責めてるんじゃねぇよ。むしろ、よく喋ったなって思ってる」
遥は腕を組み直し、背を反らす。
「ただ、俺はさ。あんたみたいな奴が、黙って耐えて、壊れて、何も残らなくなるのを――何度も見た。
誰にも言えなかった、なんて言葉が、どんだけ重いかくらいわかってるつもりだ」
声には、少しだけ怒気が混じっていた。だが、その怒りは彼女に向いてはいなかった。
「お前が悪いんじゃない。――でもな、優しいフリして黙ってた周りも、
“気づかなかった”って目を逸らしてる奴らも、同罪だ。地獄に落ちればいいとさえ思う」
少女は息を止めた。遥の言葉は、彼女の胸を穿つように響いていた。
「……だから、俺はお前を止めたりはしない。説教も、励ましもしねえ。
ただ、ここに来てくれたことだけは、ちゃんと意味があると思ってる」
遥は少女の目をまっすぐに見た。
「生きろよ。とか、言わねえよ。そんな簡単な言葉で済むなら、とっくに楽になってるだろ。
――でも、もし、お前が『もう少しだけ』踏みとどまってみようって思うなら。
それだけで、俺は……お前の味方でいてやれる」
少女の瞳に、何かが揺れた。涙ではなかった。ただ、長く乾いた心の底に、ひとしずくの水音がしたような。
「ここは、喋ってもいい場所だ。喋らなくてもいい場所だ。
誰かの期待も、道徳も、世間も、全部関係ねえ。お前の気持ちがあるだけで、十分だ」
遥は最後に、ふっと目を細めた。
「……それに、ここには俺がいる。言葉がなくても、そばにいる人間が、一人くらいはいてもいいだろ」
少女は、小さく頷いた。
その目に、まだ絶望は残っていた。だが、
――それだけじゃなかった。
この夜、何かが始まったわけではない。
ただひとつ、「終わらせなくていい」という選択肢が、机も窓もない空間の片隅に置かれただけだった。