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窓を打つ雨の音が、少しずつ強くなっていた。
週末の夜。アレクシスは翻訳の納期に追われ、リビングのテーブルにノートパソコンを広げている。
真白はその隣で、静かにマグカップを両手で包み込んでいた。
「雨、やまないね」
「うん。天気予報では、夜中まで続くらしい」
「こういう夜、ちょっと好きかも」
真白の声は、雨音に混じってやわらかく響く。
外の世界がすっかり閉じて、自分たちだけが小さな灯りの下にいるような感覚。
アレクシスも、その静けさを嫌いではなかった。
そのとき──、ふっと部屋の明かりが消えた。
「……あ」
真白が小さく息を呑む。
「停電、かな」
「大丈夫。ブレーカーじゃないと思う。外も真っ暗だ」
雨の音だけが残る。
闇に目が慣れるまでの間、互いの存在を確かめるように息をひそめた。
「アレク、ろうそくあったっけ?」
「確か、キッチンの引き出しに」
真白が足音を立てて動き出す。
しばらくして、小さな灯がともった。
キャンドルの炎が、ふたりの間にふわりと揺れる。
オレンジ色の光が、アレクシスの横顔を照らした。
光と影の境界に、普段よりも少し柔らかな表情が浮かぶ。
「なんか、映画みたいだね」
「そう?」
「うん。……静かで、綺麗」
真白の言葉に、アレクシスは小さく笑った。
「たまには、こういう夜も悪くない」
ふたりは並んで床に座り、キャンドルを囲んだ。
外の雨はまだ止まない。
その音が、まるで遠くの世界を閉ざしてくれているようだった。
「ねえ、アレク」
「うん?」
「子どものころ、停電の夜って、ちょっと怖かったんだ」
「そうなの?」
「うん。でも、今はなんか……落ち着く」
炎がまた、ひときわ大きく揺れた。
アレクシスは小さく息をつき、真白の方へ目を向ける。
「人がいるからだよ」
「え?」
「ひとりじゃないから。静かでも、ちゃんと灯りがある」
真白は言葉を失って、炎を見つめた。
その光が、心の奥まで染み込むように温かかった。
やがて、アレクシスがマグを差し出す。
「冷めちゃったけど、飲む?」
「うん」
唇を寄せたとき、ほんのりとした苦味と、アレクシスの手の温度が混じる。
雨の音が、また少し強くなった。
「アレク」
「ん?」
「……電気、戻らなくてもいいかも」
「どうして?」
「この灯り、やさしいから」
アレクシスは一瞬だけ微笑んで、炎の向こうで静かに目を閉じた。
真白もまた、同じように。
雨の音と、キャンドルの小さな揺らめき。
ふたりの影が、寄り添うように壁に映っていた。
そしてその夜、明かりが戻るより少し早く、
ふたりの間に灯った“ぬくもり”だけが、ずっと消えずに残っていた。