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遥が殴られる理由は、もう説明されなくなった。
説明が不要になった、というほうが正しい。
「今日は軽めでいいだろ」
「見せとくだけで」
放課後の階段裏。
人数は四人。
多くもなく、少なくもない。
一人が軽く腹を殴る。
力は抑えているが、芯を外さない。
「……っ」
息が詰まる。
反射的に前かがみになるところを、後ろから蹴られる。
バランスを崩し、床に手をついた瞬間、
足音が重なった。
一人分、二人分。
蹴りが連続する。
脇腹。
太腿。
肩口。
「声出すなよ」
「周りに迷惑」
理不尽だと、もう考えない。
考えたところで、何も変わらない。
ただ、耐える。
意識を散らす。
呼吸だけを数える。
「……あーあ」
聞き慣れた、緩い声。
蓮司だった。
彼はいつも、終わりに来る。
「今日はそのへんでいいって。 日下部に見せる用だから」
その一言で、蹴りが止んだ。
「マジ?」
「じゃあ、こんなもんか」
去っていく足音。
残るのは、遥と、痛みと、薄暗さ。
蓮司はその場に残らない。
少し離れた位置で、日下部を待っていた。
「最近さ」
何気ない調子で言う。
「お前、ああいうの完全スルーできるようになったよな」
日下部は、階段裏から視線を逸らしながら答える。
「……関係ないし」
その言葉が、きっぱりしていた。
もう迷いは混じらない。
「だよな」
蓮司は頷く。
「正直さ、周りもそう見てる。
“日下部はもう関係ない”って」
それは事実だった。
事実として、空気が出来上がっている。
「ほら」
蓮司は続ける。
「今あそこで起きてるの、
お前の責任じゃないじゃん」
日下部の胸に、冷たい安心が落ちる。
——俺は悪くない。
——距離を取っただけ。
「俺、嫌いなんだよね」
蓮司は独り言みたいに言った。
「善意を盾にして、人縛るの」
その言葉は、遥ではなく、かつての遥に向けられていた。
「日下部は、ちゃんと自由だよ。
それでいい」
その瞬間、日下部は完全に“離れた”。
守らない。
関わらない。
責任を持たない。
それを正解として受け取った。
その頃、階段裏。
遥は壁に背を預け、ゆっくりと立ち上がる。
腹が痛む。
脚が重い。
それでも、転ばない。
聞こえていた。
全部。
「……用、だったんだな」
“見せる用”。
その言葉が、妙に冷静に胸に落ちた。
殴られた理由。
蹴られた意味。
——誰かの立場を、楽にするため。
怒りは湧かない。
悲しみも、もう薄い。
ただ、理解した。
ここに、味方はいない。
その理解が、遥の中で一つの区切りになる。
日下部はもう、期待しない対象になった。
蓮司は、最初から違う種類の存在だ。
——じゃあ。
遥は、歪んだ呼吸を整えながら思う。
折れるか、残るか。
答えは、もう出ていた。
折れない。
媚びない。
縋らない。
内側に、小さな硬い核が残っている。
蹂躙されても、奪われても、
同意だけはしないという意志。
それが、最後の拒絶だった。
その頃、廊下。
「いい感じだね」
蓮司が言う。
「次は、完全に切れる」
日下部は、答えない。
答えなくていい位置に、もう来ている。
蓮司は笑わない。
満足した様子も見せない。
ただ、静かに支配の次段階を思案していた。
——日下部は、もう使い終わる。