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昼過ぎから、雨が降り始めた。
窓ガラスをつたう水滴が、静かに音を立てている。
アレクシスはマグカップを片手に、ゆるく本を開いた。
ページの端が少し湿っているのは、窓を開けすぎたせいだ。
真白はソファの端で、洗濯物を見つめていた。
乾ききらないシャツが、部屋の隅で静かに揺れている。
「……今日は、ずっと降りそうだね」
「うん。外出る気なくすね」
「仕事は?」
「午前中に片づけた。午後は自由時間」
「そっか。じゃあ、オレも自由時間」
そう言って、真白は小さくあくびをした。
アレクシスはページを閉じ、雨音に耳を傾けた。
どこか安心する音だった。
世界がゆっくりと遠ざかっていくような静けさ。
「ねぇ、アレク。なんか甘いのない?」
「甘いの?」
「こういう雨の日って、食べたくならない?」
「……たとえば?」
「クッキーとか、ホットケーキとか」
「どっちも材料がない」
「そっか……残念」
真白が小さく肩を落とす。
アレクシスは少しだけ考えてから立ち上がった。
棚の奥に眠っていたココアの缶を取り出す。
「これならある」
「わ、ココア!」
「温かいの、飲む?」
「飲む!」
湯を沸かす音、スプーンがカップの底に当たる音。
雨と重なって、部屋の空気が柔らかくなっていく。
アレクシスはカップを渡し、向かいのソファに腰を下ろした。
真白は両手でマグを包み、ふっと息をつく。
「……あったかい」
「よかった」
「アレクって、なんでもできるね」
「そうでもない。ココアくらいなら誰でも作れる」
「いや、そういう“気づく”のがすごいんだって」
その言葉に、アレクシスは少しだけ視線を落とした。
気づいてしまうのは、たぶん癖だ。
誰かの“ほしい”を拾うことに、慣れすぎている。
けれど、真白の笑顔を見ると、その癖が少しだけ報われる気がする。
「……ねぇ、アレク」
「ん?」
「雨の音、好き?」
「好きだよ。静かになるから」
「オレも。なんか、“ここにいていいんだな”って思う」
その言葉が、やけに素直で、まっすぐで。
アレクシスは答えを探せず、代わりにココアを一口飲んだ。
少しぬるくて、甘すぎたけれど、不思議と心地よかった。
「なに笑ってるの?」
「別に」
「ふーん。……オレ、ちょっと寝てもいい?」
「どうぞ」
真白はソファに身体を預け、そのままアレクシスの肩に頭を乗せた。
息をするたび、髪が触れて、静電気のようにくすぐったい。
アレクシスは、動けなかった。
ただ、雨音と真白の呼吸を聞いていた。
ゆっくりと時間が沈んでいく。
窓の外は灰色のまま、けれどその内側だけが、やわらかく明るかった。
――雨の日の午後。
二人だけの静けさが、世界のすべてのように思えた。