テラーノベル
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店のドアを開けた瞬間、香水とタバコと、少し甘い嘘の匂いが混ざる。
今日も「おかえり」って言われる場所に、私はヒールを揃えて立った。
「今日も綺麗だね」
最初のお客さんは、毎週水曜に来る人。名前よりも先に顔を覚えた。
褒め言葉は仕事の一部。そうわかってるのに、言い方で心が揺れる日がある。
グラスを作り、笑って、相槌を打つ。
好きなふり、興味があるふり、必要とされているふり。
それでも不思議と、全部が嘘じゃない瞬間が混ざる。
休憩中、控室でスマホを見る。
通知は一本だけ。
《今日は無理しないで》
店外で知り合った、ただそれだけの人。
お金も、指名も、約束もない。
それなのに、その一文だけで胸の奥が少し温かくなる。
「恋愛とか、しないの?」
さっきまで隣に座ってたお客さんに聞かれた言葉が、遅れて浮かぶ。
するよ。
ただ、選び方が違うだけ。
仕事が終わって、メイクを落とすと、
鏡の中には“誰かの理想”じゃない私がいる。
その顔が一番好きだって言ってくれた人を、
私はまだ、ちゃんと信じられずにいる。
ヒールを脱いで、夜風に当たる。
ネオンの光が消えていく中で、
恋はいつも、営業終了後にやってくる。
――明日も、私は笑う。
でも、誰に向けた笑顔かは、少しずつ変わってきている。
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