よはく探偵社の事務所は、昼過ぎになると妙に静かになる。
電話も鳴らず、外の車の音だけが、窓越しにぼんやり届いていた。
「……暇だな」
真琴が椅子を少し後ろに倒しながら言うと、向かいの机で書類を見ていた伊藤が顔を上げた。
「今のうちに溜まってる事務片付けとけって話だろ」
「それはもう十分やった。十分すぎる」
真琴は机に突っ伏し、視線だけを横に流す。
伊藤は相変わらず淡々としているが、探偵社に入ってから、以前よりも表情が柔らいだ気がする。
ドアがノックされる音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは、スーツ姿の男だった。
木津だった。
「木津さん?」
名前を呼ぶと、木津は一瞬だけ足を止め、それから苦笑した。
「その呼び方、やっぱ落ち着かないな」
「じゃあどう呼べばいい」
「別に変えなくていい」
そう言いながら、木津は事務所を見回す。
「今日はどうしたの」
真琴は椅子を戻し、姿勢を正す。
仕事の顔になるのが早い、と伊藤は内心で思った。
「相談というか……確認というか」
木津は一枚の紙を差し出した。
警察内部の様式だが、正式な書類ではない。下書きのようなものだ。
「また、警察絡み?」
「正確には“警察が扱いきれない案件”だ」
その言い方に、真琴の眉がわずかに動く。
「木津さん、それ多すぎない?」
「分かってる。でも今回は少し毛色が違う」
木津は視線を伊藤に向ける。
一瞬、空気が張った。
「……伊藤さんも、関係ある?」
「いや。今回は“関係ないからこそ”話したい」
伊藤は肩をすくめる。
「俺は事務担当だぞ。聞かれて困る話でもない」
「そういう意味じゃない」
木津は言葉を選ぶように、一拍置いた。
「今回の件、表に出せば“事故”で終わる。だが、現場にいた人間が、どうしても腑に落ちない点がある」
「現場に警察は?」
「いる。だからこそ動けない」
真琴は紙に目を落としたまま言った。
「なるほどね。警察がいる事件。だけど、警察じゃ掴めない違和感」
「そうだ」
事務所に沈黙が落ちる。
それは重い沈黙ではなく、仕事の前の静けさだった。
「引き受けるかどうかは、まだ決めない」
真琴は顔を上げる。
「でも、話は聞く」
木津は、少しだけ安堵したように息を吐いた。
「それでいい。無理にとは言わない」
「その代わり」
真琴ははっきり言った。
「中途半端な情報は要らない。警察側の事情も、木津さん自身の立場も、全部含めて話して」
木津はうなずいた。
「……分かった」
伊藤は静かにペンを置く。
また一つ、よはく探偵社に“警察が関わる事件”が持ち込まれたのだと、確信していた。
そしてそれが、これから続く流れの入口になることも。






