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部屋の隅。カーテンの向こうで風が鳴っている。蛍光灯はつけられない。目が冴えて、ただ布団の中で膝を抱えた。
「……お前は、線を知らないんだ」
夕方、蓮司に言われた言葉が頭から離れない。
線。
踏み込んではいけない一線。人を守ろうとするときに、決して越えてはいけない境界。
俺は、それを知らなかった。
だから――日下部の親のことを言った。
(違うんだ。本当は、守りたかったんだ……)
心の中で何度も繰り返しても、胸の奥が冷たくなるだけだった。
守るつもりで口を開いたのに、結果は逆だった。
あのときの日下部の目。俺を見ないまま、押し殺したように震えていた横顔。あれがすべてを物語っている。
(裏切った。俺は、裏切ったんだ)
分かっていたはずだった。人にとって何が痛いのか、何を暴かれたら取り返しがつかないのか――。
だけど俺には、その“当たり前”が分からない。
……ずっと同じだ。
俺が動けば動くほど、誰かが傷つく。
俺が守ろうとすればするほど、裏切りになる。
「お前は線を知らない」
蓮司の言葉が鋭く胸を抉る。
そうだ。俺は知らないんだ。どこまで踏み込めば相手が傷つくのか。どこで止まれば守れるのか。
線の存在すら分からないまま、俺はただ突っ走って――結局、全部を壊してしまう。
(俺は……人と関わっちゃいけなかったんだ)
そう結論づけるしかなかった。
布団の中で息を殺し、頭を抱える。耳の奥に、日下部を囲んでいた笑い声がまだ残っている。
「親友に売られるとかウケる」
「友情って結局嘘だよな」
違うんだ。守りたかったんだ。俺は。
でも、それを言葉にしても意味はない。結果はひとつ。
――裏切り。
俺は日下部を裏切った。
あいつにとっては、ただそれだけの事実。
(俺が人間関係なんて築けるわけがなかったんだ)
(俺みたいなやつが人と一緒にいたら、また同じことを繰り返すだけだ)
家の中から足音が聞こえる。重く、乱暴な足音。俺の部屋の前で止まり、やがて遠ざかっていく。
体がびくりと震えた。ここは安全地帯じゃない。俺にとって家は、昔から何ひとつ守ってくれない場所だ。
――だから俺は、日下部くらいは守ろうと思ったのに。
そのたったひとつさえ、結局できなかった。
「……俺は、いらない」
声に出した途端、胸の奥が空洞になった。
誰かを救うどころか、俺の存在自体が人を傷つける。
日下部を、助けようとした人間を。
(俺なんか、最初からいない方が良かったんだ)
そう思えば思うほど、布団の中は暗くて狭くなっていく。息が詰まって、涙が滲む。
――もう間違えないためには、人に近づかないしかない。
そう自分に言い聞かせながら、俺は目を閉じた。