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先頭にいる青年士官が外套の襟を払う。磨かれた銀の留め具、まっすぐな姿勢、勝利の絵姿をそのまま形にしたような立ち方。
ウマルだった。
「夜更けに失礼する」
声までよく通る。
「被害記録局見習いロビサ、ならびに臨時協力者ハディジャに、王城から通達だ」
中庭へ職員たちが集まり始める。ニッキーが帳簿を抱えたまま柱の陰へ寄り、リュバは工房の扉を閉めずに様子を窺っていた。モンシロもすでに階段を下りてきている。
ウマルはロビサへ視線を定めた。
「蒼い鏡の正式開封が近い。王城は、開封前の安全確保のため、器候補と見なされる危険人物の拘束を検討している」
その言葉に、空気が一段冷えた。
器候補。危険人物。
遠回しですらない名指しだった。
ハディジャが一歩前へ出る。
「親切にどうも。で、今夜のうちに鎖でもつけるか」
「必要ならそうなる」
ウマルは表情を崩さなかった。
「だが私は、もっと穏当な方法を提案しに来た」
穏当、という言葉が似合わない目つきだった。
彼はロビサだけに聞こえるような声量へ少し落とし、だが周囲には届く位置を保ったまま言う。
「ハディジャを王城へ引き渡せ。討鬼騎士団の管理下へ置けば、お前の花嫁候補としての立場も守れる。被害記録局に余計な嫌疑もかからない」
「嫌疑」
「お前は鏡に触れすぎている。器候補と行動を共にし、禁書庫の旧札まで使ったらしいな」
どこまで掴んでいるのか。
ロビサの背に冷たいものが走る。
「私を守るためにこの人を処分しろ、と?」
「処分ではない。都を守るための隔離だ」
「言い換えているだけです」
「違うな」
ウマルの目が、わずかに熱を帯びた。
「都を救うには、選ばなければならないものがある。全員を抱えたまま勝てるほど、鬼は甘くない」
その言い方に、墓苑の割れ目と、百年前の叫びが重なった。
『花嫁を選べ』
『都を守れ』
その先に何が残ったのかを、ロビサはもう少しだけ知っている。
だから答えは、思ったより早く口から出た。
「拒否します」
中庭が静まり返った。
ウマルは眉ひとつ動かさない。
「理由を聞こう」
「被害記録官は、失われるものを数合わせにしません」
「理想論だ」
「結構です。理想がない記録は、ただの言い訳です」
言ってしまってから、胸の鼓動がどっと速くなる。だが足は引かなかった。
ハディジャが横で小さく息を吐いたのがわかった。笑ったのか呆れたのかはわからない。
ウマルはロビサから彼へ目を移す。
「お前はどうだ。自分が危険だとわかっているのなら、進んで王城へ来るべきではないか」
「それで都が救われる保証があるなら考える」
ハディジャの声は低かった。
「でも、あんたの目は勝ち方の話しかしてない。何を残すかの顔じゃない」
一瞬だけ、ウマルの頬が強張る。
図星を刺された人間の顔だった。
「いいだろう」
彼は外套の裾を払った。
「ならば本日より、両名には監視をつける。被害記録局の行動範囲も一部制限する。蒼い鏡の開封まで、勝手な調査は許可しない」
「横暴です」
モンシロが低く言った。
「正式な文書を」
「もちろん後ほど」
ウマルは礼儀正しい笑みだけを形にした。
「逃亡や証拠隠滅の意思がないなら、不自由は最小限で済む」
それを決めるのはそちらだろう、とロビサは思ったが、口には出さなかった。
もう十分に敵意は見せている。ここで感情だけをぶつけても、相手の筋書きへ都合よく組み込まれるだけだ。
騎士団が引き上げていくと、遅れて張りつめていた息が中庭のあちこちで漏れた。
ニッキーが真っ先に口を開く。
「最小限ね。そう言う人ほど、帳簿の隅まで覗きたがるのよ」
「工房の裏口から先に鍵を増やす」
リュバが真顔で言い、レドルフはいつの間にか現れていたのか、柱にもたれて肩をすくめた。
「監視つきの恋路は芝居になるが、現実では少々不便だな」
「誰の恋路ですか」
ロビサが即座に返すと、彼は楽しそうに両手を上げた。
「まだ違うらしい」
その軽さに助けられる部分があるのが悔しい。
騒ぎがひと段落し、皆が持ち場へ戻り始めたころ、ロビサはまだ中庭の石畳に立ったままだった。
監視がつく。
勝手な調査は難しくなる。
それでも、三日後の開封は待ってくれない。
「さっきの」
隣でハディジャが言った。
「断ってくれて、助かった」
「私は、正しいと思ったことを言っただけです」
「そういうところが優等生だな」
「その呼び方は」
「今は悪口じゃない」
見上げると、彼の目の奥にはまだ疲れがあった。けれど、さっき井戸端で見た孤独な暗さよりは少しだけましに見える。
距離を置くと口にした自分の言葉が、胸の内側で鈍く引っかかった。
彼と彼女の間には、百年前の残響がいる。
蒼い鏡の呪いがいる。
都を守るという名目で誰かを切り捨てる理屈がいる。
けれど、それだけではない気もした。
その間をどう渡るかは、まだ決まっていない。
ロビサは工房の明かりを振り返った。
青い原石は、薄布の下でまだかすかに光っているはずだ。
あの石が知っている過去と、今ここで自分たちが選ぶ答え。その両方を繋げなければならない。
「逃げません」
今度は、誰に向けるでもなく言った。
「よかった」
ハディジャが答える。
「俺もだ」
夜霧がまた、局舎の塀の向こうからじわじわと忍び寄ってくる。
けれど今夜のロビサは、それをただ恐ろしいものとしては見なかった。
霧の向こうに隠された記録があるなら、暴かれる前に、自分たちの手で触れに行くしかない。
三日後まで、あと二日。
監視つきの夜が始まる。
それでも、まだ諦めるには早すぎた。
【終】
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#現代ファンタジー
るるくらげ