放課後の空気は、廊下の埃の匂いを含んで少し重かった。 日下部は窓を少し開けて、古い机に肘をついていた。
ドアがノックもなく開き、同学年の女子が顔をのぞかせる。
「……ここ、入っていい?」
「うん。椅子、空いてる」
彼女は少し迷いながらドアを閉め、鞄を抱えたまま腰を下ろす。
視線は床に落ちたままだ。
「なんか……自分が透明になったみたいで」
「透明?」
「クラスにいても、いないみたい。話しかけられてもすぐ忘れられる。
大事にされてないわけじゃないのに、すぐ背景に溶けちゃう感じ」
日下部は一度だけうなずく。言葉を急がない。
「俺も、似たことある」
「え、日下部くんが?」
「授業中とかさ、声を出すタイミングを一回逃すと、ずっと黙ってても誰も気づかない。
……存在感って、誰かに証明してもらわないとないみたいに思えるよな」
彼女は小さく息を吐いた。
「そう、それ」
「でもさ」
日下部は机を指で軽く叩いた。
「たぶん俺たちの存在って、他人の反応だけじゃ決まらない。
誰かの視界にいなくても、ここで息してること自体が、もう十分ある」
彼女は顔を上げ、少しだけ眉が緩む。
「それ、うまくできない。自分で自分を認めるって、どうしたらいいの」
「俺も答えは持ってない。でも、今日ここに来た時点で、たぶんできてる。
“ちゃんとここにいる”って、自分で選んで動いたわけだから」
窓から差し込む夕陽が、机の上のほこりを金色に浮かび上がらせる。
しばらく二人とも黙った。
外から運動部の掛け声が届き、世界がまた動き出した気がした。
「……少しだけ、体が軽くなった気がする」
「俺も」
日下部は少し笑った。
その笑顔が彼女の胸に、確かに温度を残した。