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#現代ファンタジー
るるくらげ
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「これ、さっきの男の荷から出たものですか」
ロビサが訊く。
「ええ。王城下役人向けの搬入路に近い配置がある」
「つまり、ただの盗品の流れじゃない」
「そう。誰かが王城寄りの文書を、倉庫群を経由して切り刻んでいる」
ハディジャが身を乗り出した。
「貸してみろ」
「触らないで」
ロビサとヴィットリアーナの声が珍しくぴたりと重なった。
二人とも一瞬だけ目を見合わせ、すぐに逸らす。ほんの少しだけ、昔みたいだった。
だが、その一拍の隙に、ハディジャはもう図面の端をつまんでいた。
「見てるだけだって――」
言い終わる前に、彼の顔色が変わった。
図面へ触れた右手の甲へ、黒い線がにじみ出すように浮かび上がったのだ。皮膚の下から墨がせり上がるような、ぞっとする現れ方だった。一本、また一本。細い文字列が手首へ向かって這い、乾いた痛みでも走ったのか、ハディジャが息を呑む。
「離して!」
ロビサが叫ぶ。図面を奪い取ろうとした瞬間、彼の指先がびくりと震えた。
ハディジャの瞳から、焦点が一度消えた。
ロビサには見えた。
机の上の図面ではない。もっと暗い場所。石の床。濡れた鎖。青い鏡の前で、誰かが膝をついている。若い男だ。横顔が、目の前のハディジャとおそろしく似ている。その喉もとへ、今と同じ黒い文字が這い上がっていた。
――器を開け。
――名を受けろ。
声とも記憶ともつかないものが、耳の奥へ直接落ちる。
「ハディジャ!」
ロビサは彼の名を呼んでいた。考えるより先に。
すると彼の瞳が揺れ、焦点が戻る。けれど右手の黒い文字は消えない。むしろ図面の濃い線と呼応するように、じわじわ数を増やしていく。
ヴィットリアーナが初めて露骨に表情を変えた。
「何それ」
「俺が知るか……っ」
ハディジャは歯を食いしばり、左手で右腕を掴む。普段の軽口がひとつも出てこない。本当に痛いときの顔だった。
ロビサは記録針を抜いた。戦闘用ではない。けれど、名に関わる異変へ触れるための道具だ。
「手を見せて」
「触るな。あんたまで巻き込む」
「巻き込まれるかどうかは私が決めます」
「優等生さん、そういう顔するとき、全然優等生じゃないな」
「今さらです」
震えそうになる指を押さえ、ロビサはムーンストーンの先端を黒い文字の近くへかざした。石が青白くともる。すると図面の濃い線と、ハディジャの手の文字が同じ形でつながって見えた。封印文。しかも、ただの護符ではない。何かを選び分けるための記号だ。
「これ……倉庫の複製図じゃない」
ロビサは息を呑んだ。
「写されているのは搬入路だけじゃない。封印の流れが重ね書きされてる」
「封印?」
ヴィットリアーナが即座に図面を引き寄せる。
「王城地下へ通じる構造の写し、ということ?」
「たぶん。しかも、この反応……ハディジャにだけ出てる」
ハディジャは壁へ手をつき、荒い息を吐いた。
「最悪だな。役所に連れてこられたと思ったら、今度は俺の手が勝手に悪趣味な落書き帳だ」
「冗談を言えているなら、まだ意識は保てる」
ヴィットリアーナはそう言いながらも、声がわずかに硬い。
「ロビサ。この文字、読める?」
「全部は無理です。でも一部だけ……『核』『器』『受ける』……そんな語が混じってる」
部屋の空気が、また別の意味で冷えた。
誰もすぐには動かなかった。監察院の厚い壁の向こうで、夜の鐘がひとつ鳴る。
ロビサは、青く光るムーンストーンの先でハディジャの手の甲を見つめた。
蒼い鏡が先に映した青年。
鬼害現場のそばに落ちていた封書。
母の字に似た紙片。
そして、彼にだけ現れる封印文字。
ばらばらだったものが、ひとつの嫌な形へ寄り始めている。
ヴィットリアーナが低く言った。
「この件、もう下町の盗品騒ぎでは済まない」
「ええ」
ロビサは答えた。答えながら、自分の心臓の音が早すぎることに気づく。
「母のことも、この文字も、同じところへつながってる」
ハディジャはようやく顔を上げた。痛みで額に汗が浮いているのに、その目だけは変に冴えていた。
「だったら、俺を外す話はなしだ」
「今の状態で何を言ってるんです」
「こういうとき、だいたい中心にいるやつを帰らせると、あとで余計に面倒になる」
「自分で中心って言わないでください」
「事実だろ」
腹立たしいのに、その通りだった。
ロビサは目を閉じるように一瞬だけ瞬きをした。開いた先で、ヴィットリアーナもまた同じ結論へたどり着いた顔をしていた。
三年前、同じ側へ立てなかった相手。
今、最初にその事実を認めたのが、またこの人だというのが、どうしようもなく皮肉だった。
監察院の机上で、黒い文字はまだ消えない。
まるで、もっと奥を見ろと言うみたいに。
【終】