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その日、真白はクローゼットの前で少し考え込んでいた。
半袖と薄手の上着が並ぶ中で、一番奥に押し込まれたコートが目に入る。
「……そろそろ、だよね」
独り言のように呟いて、コートを引き出す。
去年の冬に買ったものだ。
袖を通すと、少しだけ生地が重く感じた。
リビングでは、アレクシスがノートパソコンを閉じるところだった。
仕事を終えたばかりらしく、眼鏡を外して目元を揉んでいる。
「アレク」
「ん?」
「今日、寒いよ」
言葉としては当たり前なのに、
アレクシスは少しだけ笑った。
「知ってる。今朝、息が白かった」
「やっぱり?」
「うん。もう完全に冬だね」
真白はコートを手に持ったまま、少しだけ迷ってから近づく。
「ねえ、これ……」
「出したんだ」
「うん。去年の」
アレクシスは立ち上がり、コートの襟元を軽く整える。
指先が布をなぞり、真白の首元にほんの一瞬触れた。
「サイズ、大丈夫そう」
「……ちょっとだけ、重い」
「冬物だからね」
でもその重さが、今日は妙に心地よかった。
外に出ると、風がひんやりしている。
まだ手袋は要らないけれど、指先は確実に冷えていく。
「買い物、早めに終わらせよっか」
「うん。帰ったら、温かいの飲みたい」
スーパーまでの道を並んで歩く。
並木道の木はほとんど葉を落としていて、
足元から乾いた音が立ち上る。
「この音、好き」
「落ち葉?」
「うん。冬に入る合図みたい」
アレクシスは一瞬考えてから言った。
「君、季節の変わり目をちゃんと感じるよね」
「え?」
「俺は気づいたら、季節が変わってるタイプだから」
真白は少し照れたように笑う。
「アレク、忙しいから」
「それもあるけど……たぶん、一人だと流れやすい」
レジ袋を下げて帰る途中、風が少し強く吹いた。
真白は無意識にコートの前を押さえる。
「寒い?」
「ううん……でも、風冷たい」
アレクシスは歩く位置を少しだけ変えて、
真白の風上に立った。
自然すぎて、説明も何もない動き。
「……ありがとう」
「何が?」
「今の」
アレクシスは小さく笑うだけだった。
家に戻ると、真白はすぐにケトルのスイッチを入れる。
今日はココア。
少し甘いのが、今の気分だった。
「マグ、どれ使う?」
「いつもの」
湯気が立ち上り、部屋に甘い匂いが広がる。
真白はコートを脱ぎ、椅子に掛けた。
「ねえ、アレク」
「ん?」
「冬ってさ……ちょっとだけ、不安じゃない?」
アレクシスは驚いた顔をして、でもすぐに納得したように頷く。
「日が短いし、寒いしね」
「うん。でも」
真白はマグを差し出しながら、続ける。
「今年は、そこまで怖くない」
アレクシスは受け取ったマグを見下ろしてから、真白を見る。
「どうして?」
「……アレクが、いるから」
言い切るのは恥ずかしくて、声が少し小さくなる。
でも、逃げなかった。
一拍置いて、アレクシスは答える。
「それなら、よかった」
窓の外はもう完全に冬の色で、
夕方の空気は冷たい。
でも室内には、ココアの甘い香りと、
静かな安心があった。
コートを出す日。
それは、今年の冬が始まる合図で。
そして――
ひとりじゃない冬に足を踏み入れる、最初の日でもあった。