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「ねえ、こういうときってさ」
遥がぽつりと言う。
日下部は、隣で背を丸めた彼をただ見ていた。
「触ってくんじゃないの? 普通」
暗い部屋、締め切ったカーテンの向こうから、遠く車の音だけが聞こえる。
遥は、日下部のシャツの袖を指先でつまんでいる。
「前はさ、黙ってても、すぐだったよ。蓮司も、他の奴も。目が合ったら、それで十分だった」
抑揚のない声。
懐かしんでいるわけでも、怒っているわけでもない。ただ“そこにあった事実”を並べているような響き。
「何も言わなくていいし、聞かれもしない。……そういうもんでしょ、セックスって」
一拍置いて、遥は少し笑った。
「だからさ、黙ってんの、やめてほしいんだけど」
日下部は視線を外さない。
遥の目は、乾いていた。すり減って、傷だらけのまま、開きっぱなしの眼差しだった。
「……俺は、触りたいんじゃなくて、ちゃんと知りたいだけ」
日下部の声に、遥の指が微かに動く。
「知ってどうすんの。引くか、哀れむか、壊すしかできないくせに」
その言葉は、蓮司と重なっていた。
低く囁かれる声、吐き出すような手、背中をなぞられるときの呼吸。遥の皮膚には、まだそれが残っている。
“身体を与えれば、心を奪われない”
そう信じていた。むしろ、それしか知らなかった。
だけど日下部は、何も奪わなかった。何も求めず、ただそばにいた。
「壊される方が、楽なんだけどな。ちゃんと理由もなくなるし」
遥はそう言って、日下部の胸元に顔を寄せた。
触れて、確かめようとする動きではなく、自分の揺らぎを隠すように。
「それでも……触らないの?」
呟きは挑発でも誘惑でもない。
ただの、“確認”だった。今まで誰にも聞けなかった問い。
日下部は答えなかった。ただ、遥の頭をそっと抱いた。
返答よりも、その動作の“遅さ”が遥を動揺させた。
蓮司のそれとは違う。獲物に飛びつくでも、傷をなぞるでもない、迷いと確かさを含んだ腕。
「ずるいんだよ、お前……そんなの、知らねぇよ」
遥の言葉は、微かに震えていた。
“愛される可能性”なんて、知りたくなかった。そんなもの、信じたらまた壊れる。
けれど、壊されるよりもずっと怖いのは、壊されずに残されてしまうことだった。