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「……なあ、日下部」
部屋の灯りは消えていた。夏の夜、窓から入る街灯の明かりが、床に長く影を落としている。
遥はベッドの縁に腰掛け、膝に肘を乗せて俯いていた。
背中は、どこか力が抜けているようで、それでいて、言葉の端には張り詰めたものがあった。
「オレさ、……どうやって、人に“好き”って、伝えるんだろうな」
不意だった。
日下部は黙って隣に座る。返事を急がないことだけが、いまの遥にとって、必要なことだと分かっていた。
遥は続ける。
「触ればいいと思ってた。舌使って、喉鳴らせば、腰振れば、満足した顔されて、それで……そういうこと、なんだろって」
笑いにもならない、呼吸の隙間のような言い方だった。
「けど、日下部は、……触ってこない。欲しがらない」
「……」
「触られないのが、こんなに苦しいなんて、思わなかった。……オレ、たぶん、“そういうこと”でしか、誰かと関われなかったんだよな」
日下部が言葉を探す前に、遥がふと肩をすくめた。
「おかしいよな。ぜんぶ、逆だ。ほんとは嬉しいはずなのに……」
そこで、遥は言葉を切る。
沈黙の中、彼は自分の胸を軽く押さえる。そこがきしむように痛むのを確かめるみたいに。
「オレがしたいのは、セックスじゃなかったのかもって……ちょっとだけ、思った」
まるで、自分自身に驚いているような声だった。
「それなのに、“どうしたら伝わるのか”が、わかんねぇ。普通に笑えばいいのか? 抱きしめればいいのか? でも、それって……誰にも教わってねぇ」
日下部はそっと、遥の手を取る。
何も言わず、ただ、指先を重ねる。
遥はその手を見つめる。何秒も、何十秒も。
「……なんかさ、お前がこうしてくれると、余計に怖ぇんだよ」
「怖い?」
「うん。今まで、したあとにこんなふうに優しくされたこと、ないから」
微かに笑うが、その声は震えていた。
安心じゃなく、違和感の果てにある感情。
「このまま、ずっと抱かれなかったらどうしようって、思うのと同じくらい。……このまま、ちゃんとされ続けたら、オレ、もう“あっち”には戻れなくなっちゃいそうでさ」
“あっち”とは、蓮司、そして過去。
暴力と支配、性的消費の繰り返しが「関係」のすべてだった場所。
「オレ、たぶん……“試し”たんだ。お前が、どこまで来るか。どこまで崩れるか」
日下部は、遥の指を軽く握る。
「崩れないことが、こんなに……痛いなんて、な」
遥の目には、なにかがじんわりと滲んでいた。