テラーノベル
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その時。
「遥」
不意に。
すぐ後ろから声がした。
遥の心臓が大きく跳ねた。
反射だった。
振り返る。
日下部。
そう思った。
そう思ってしまった。
けれど。
「プリント」
クラス委員の男子だった。
「先生んとこ持ってって」
机の上にどさりと積まれる。
「……あぁ」
「重いから落とすなよ」
笑いながら去っていく。
周りも特に気にしない。
いつものこと。
雑用。
押しつけ。
断らない。
断れない。
それが遥だった。
両手でプリントを抱える。
重い。
見えにくい。
それでも廊下に出る。
夕方の校舎。
部活へ向かう生徒たち。
笑い声。
遠くの吹奏楽。
窓から差し込む赤い光。
全部、遥とは関係ない。
階段へ向かう。
足を上げる。
その時。
「おっと」
横からぶつかられた。
ぐらりと身体が傾く。
プリントが舞った。
「うわ」
「落ちた」
男子たちの笑い声。
床に散らばる紙。
足元。
階段。
拾わなければ。
慌ててしゃがみ込む。
「悪ぃ悪ぃ」
謝る気もない声。
「邪魔だったわ」
「見えねぇんだよ」
くすくす。
笑い声。
遥は何も言わない。
言えない。
ただ黙って紙を拾う。
一枚。
二枚。
三枚。
震える指。
腰を屈めるたび、昨夜の痛みが鈍く走る。
「遅ぇな」
「全部揃ってんの?」
「足りなかったら怒られるぞー」
また笑い声。
その時。
「何してんだ」
低い声。
空気が変わった。
男子たちが振り向く。
遥の指が止まる。
見なくても分かった。
日下部だった。
数秒。
沈黙。
「……別に」
「プリント落ちただけ」
「ふーん」
日下部の声は平坦だった。
怒っていない。
笑ってもいない。
ただ。
しゃがみ込んで。
散らばった紙を拾い始めた。
遥の隣で。
自然に。
「……やめろ」
ゆぴ
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思わず声が出た。
日下部の手が止まる。
「何で」
「いい」
「よくねぇだろ」
「いいって」
少し強くなる。
日下部は遥を見る。
その目が。
昨日の続きみたいで。
遥は視線を逸らした。
「……放っとけ」
「嫌だ」
「放っとけって」
「嫌だ」
同じ返事。
変わらない。
前なら。
そのやり取りに少しだけ息が抜けた。
でも今は。
違う。
怖かった。
また。
慣れてしまう。
また。
安心してしまう。
また。
期待してしまう。
だから。
「頼んでねぇだろ!」
声が響いた。
廊下が静まる。
男子たちの笑い声も止まった。
日下部も止まる。
遥自身が一番驚いていた。
呼吸が浅くなる。
しまった。
違う。
違う。
こんなつもりじゃ。
「……悪い」
小さく漏れる。
日下部は何も言わない。
数秒。
そして。
「分かった」
昨日と同じ声。
拾いかけていた紙から手を離す。
立ち上がる。
それだけ。
怒りもしない。
責めもしない。
何も言わない。
そして。
本当に。
今度こそ。
離れていった。
その背中を。
遥は見てしまった。
見送ってしまった。
追いかけることも。
呼び止めることもできない。
床にはまだ散らばったプリント。
周りには気まずそうな空気。
なのに。
遥の胸の奥だけが。
ぐしゃぐしゃに痛かった。
それは。
昨夜の痛みとも。
学校で受ける痛みとも。
まるで違う。
名前のつけられない痛みだった。
コメント
1件
あー、読んだ読んだ。第2話、めっちゃ刺さったわ…。 遥の「頼んでねぇだろ!」って叫び、あれ本心じゃないのに出ちゃったんだろうな。日下部に優しくされるのが怖くて、自分から突き放しちゃう感じ、すごく分かる。で、日下部が「分かった」って素直に離れていくところがまた切ない。追いかけたいのに身体が動かない遥の気持ち、胸がぎゅっとなった。 名前のつけられない痛みって表現、めちゃくちゃリアルだった。次、どうなっちゃうんだろう…続きが気になる🔥