テラーノベル
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営業が終わる頃には、店の中もずいぶん静かになっていた。グラスを片付けながら、大きく息をつく。
「疲れた?」
後ろから声がした。
振り向くと、高槻さんだった。
まだ帰っていなかったらしい。
「まだいたんですか」
「ひどいなあ」
笑いながら伝票を眺める。
「もう帰るよ」
「お気をつけて」
「うん」
少しだけ間が空く。
「今日さ」
「はい?」
「真瀬さんと、よく話してたね」
胸が少しだけ動く。
でも、顔には出さない。
「たまたまです」
「そっか」
高槻さんはそれ以上聞かなかった。
聞かない。
けれど、引かない。
その絶妙な距離が、この人らしい。
「じゃあ」
立ち上がる。
「また来週」
「お待ちしてます」
「その言い方だと、営業みたい」
「営業です」
「分かってる」
笑って店を出ていく。
ドアが閉まる。
私は無意識に、その背中を見送っていた。
「見送るんですね」
静かな声。
振り返る。
奥の席にいた人が、まだグラスを傾けていた。
「え?」
「いつも」
私は少し考える。
そんなつもりはなかった。
でも。
言われてみれば。
帰る人の背中を、見てしまうことはある。
「癖かもしれません」
そう答えると、その人は頷いた。
「真瀬さんも」
その名前が出た瞬間、私は顔を上げた。
「見送ってました」
鼓動が少しだけ速くなる。
「よく見てますね」
思わず笑う。
「仕事柄ですか?」
「いいえ」
その人は静かに首を振る。
「見てしまうだけです」
その答えは、少しだけ曖昧だった。
「ナナさん」
初めてだった。
源氏名のあとに、「さん」がついたのは。
「はい?」
「人は、自分が思っているより素直ですよ」
私は意味を考える。
でも。
考えても分からない。
「難しいですね」
「そうですね」
その人も笑った。
営業が終わる。
最後のグラスを片付けて、更衣室へ向かう。
ロッカーを開けながら、今日一日を思い返した。
高槻さん。
真瀬さん。
そして、まだ名前を知らない、あの人。
少し前まで、お客さんは、お客さんだった。
それだけだった。
なのに最近は、誰がどんな顔で笑ったか。
誰が何を言わなかったか。
そんなことばかり、残る。
ドレスのファスナーを下ろす。
鏡の中の私は、営業用の笑顔が少しだけ薄くなっていた。
メイクは少し崩れていた。
でも、崩れているのは、それだけじゃない気がした。
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コメント
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うわ、このエピソード、すごく好きです。日常の営みの合間に、ほんの少しだけ見える「素」の部分が、すごく繊細に描かれていて。特に、高槻さんが「真瀬さんとよく話してたね」って言うところ、あの絶妙な距離感がたまらない。聞かないけど引かない、そのバランスが高槻さんらしいし、それに動揺しつつも顔に出さない主人公のプロ意識も感じられて。最後の「崩れているのは、それだけじゃない」って一文が、もう、すべてを物語ってる。心のひだに触れるような、そんな優しい話でした。