テラーノベル
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六時間目が終わった。
チャイムが鳴る。
教室が騒がしくなる。
帰り支度を始める生徒たちの声があちこちから聞こえた。
遥は席から立たなかった。
机の中に入れたままの缶ジュースが気になっていた。
飲んでいない。
開けてもいない。
ただ入れたまま。
なのに存在感だけがやけに大きかった。
(……返せばよかった)
何度目か分からない考えが頭をよぎる。
日下部が悪いわけじゃない。
むしろ逆だ。
だから困る。
親切にされる理由が分からない。
見返りもない。
意味もない。
そんなものを信用する癖は、とっくの昔に失くしていた。
教室の前方から笑い声が聞こえる。
反射的に顔を上げる。
日下部だった。
友達と話している。
何かで笑っている。
それを見た瞬間、遥はすぐに視線を逸らした。
自分でも嫌になるくらい自然な動きだった。
(見るなよ)
意味がない。
関わるな。
近づくな。
忘れろ。
頭のどこかが何度も警告してくる。
それなのに、気づけば視線が向いてしまう。
最悪だった。
遥は乱暴に立ち上がった。
鞄を掴む。
帰る。
今日は早く帰ろうと思った。
日下部と顔を合わせる前に。
話しかけられる前に。
何も起きないうちに。
教室を出る。
廊下を歩く。
早足になる。
階段を降りる。
昇降口へ向かう。
その途中。
「遥」
呼ばれた。
足が止まりそうになる。
止めない。
そのまま歩く。
「おい」
また呼ばれる。
無視する。
聞こえないふりをする。
すると後ろから足音が近づいてきた。
「待てって」
肩を掴まれる。
遥は反射的に振り払った。
思ったより強く。
日下部の表情が固まる。
遥も固まる。
数秒。
沈黙。
「……悪い」
先に口を開いたのは遥だった。
反射だった。
謝るつもりなんてなかった。
でも出てしまった。
日下部は少し眉をひそめる。
「何怒ってんだよ」
「怒ってねぇ」
「怒ってるだろ」
「怒ってねぇって」
声が強くなる。
自分でも分かるくらい。
日下部が黙る。
遥は舌打ちしたくなった。
違う。
怒っているんじゃない。
怖いだけだ。
でもそんなこと言えるはずがない。
「……もういい」
日下部が言う。
「俺なんかしたか」
その言葉に胸が痛んだ。
した。
している。
だから困っている。
だから離れたい。
だから近づいてほしくない。
でも、それを説明できる言葉は持っていなかった。
「……してねぇよ」
やっと出たのはそれだけだった。
「じゃあなんで避けんだよ」
遥は答えない。
答えられない。
もし本当のことを言ったら。
――お前といると怖い。
――お前といるところを見られるのが怖い。
――お前に慣れるのがもっと怖い。
そんな言葉になる。
言えるわけがない。
沈黙が落ちる。
日下部はしばらく遥を見ていた。
何か言いたそうだった。
でも結局、飲み込む。
その顔が少しだけ苦そうで。
それが余計に嫌だった。
「……分かった」
それだけ言った。
追いかけてこない。
理由も聞かない。
怒りもしない。
ただ一歩引いた。
その瞬間。
遥の胸の奥が嫌な音を立てた。
これでいい。
これでいいはずだった。
関わらない方がいい。
離れた方がいい。
そう思っていたはずなのに。
日下部が背を向けた瞬間だけ、どうしてか少し息が苦しくなった。
足早に昇降口へ向かう。
外へ出る。
夕方の空気が頬に当たる。
それでも胸の重さは消えなかった。
校門を抜けてしばらく歩く。
後ろを振り返る。
誰もいない。
当たり前だった。
自分で追い払ったのだから。
なのに、少しだけ探してしまった自分に気づく。
遥はすぐに前を向いた。
(何やってんだよ)
苛立つ。
自分に。
あんな顔をさせたことにも。
あんな顔を見て気にしていることにも。
全部。
最悪だった。
ポケットの中で手を握る。
苛立ちが消えない。
そのまま歩きながら、ふと鞄の持ち手を握り直した。
カシャン。
中で小さな音が鳴る。
缶ジュースだった。
帰る前、無意識に鞄へ入れていたらしい。
遥は足を止める。
見下ろす。
数秒。
そのまま近くのゴミ箱へ向かおうとして――止まる。
捨てればいい。
それで終わる。
関係も。
変な気持ちも。
全部。
そう思うのに、指は離れなかった。
結局、缶は鞄へ戻された。
自分でも意味が分からない。
分かりたくもない。
ただ、その行動だけが妙に腹立たしかった。
空を見上げる。
日が傾いている。
急がなければ。
帰りが遅くなれば面倒になる。
それは分かっている。
だから歩き出す。
けれど、足取りは少しだけ重かった。
日下部から離れたからじゃない。
そう自分に言い聞かせながら。
コメント
1件
ああ、もう遥の心情が痛いほど伝わってきたわ……。日下部は何も悪くないのに、自分から距離を取ろうとするほど胸が苦しくなる感じ、すごくリアルだった。「怖いだけ」って言葉が刺さった。缶ジュースをゴミ箱に捨てられないまま鞄に戻すラスト、彼女の迷いそのものだよね。続きが気になる🔥
なぬえ
モノクロナツキ
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