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夜の気配は、昼の熱をゆっくりと溶かしていく。
それでも、部屋の中にはまだ微かな暑さが残っていた。
「……寝れない?」
ベランダのカーテン越しに声をかけると、
アレクシスが振り向いた。
手すりにもたれ、薄いTシャツの袖口から覗く腕が月明かりを受けていた。
「うん、ちょっとね。風が気持ちいいから」
真白もスリッパを履き、そっと隣に立つ。
夜風がふたりの髪を少しだけ揺らした。
街の灯が、遠くで瞬いている。
虫の声と、時折通る車の音。
それ以外は、静かだった。
「今日、買ってきたアイス……もう食べちゃった?」
「うん。君が寝てた間に」
「ずるい」
「半分残しておいたよ」
ふたりで笑う。
笑いながら、どちらも少し視線を逸らした。
その一瞬の沈黙が、なぜか心地よかった。
アレクシスが柵に肘を置いたまま、空を見上げる。
「星、思ったより見えるね」
「ほんとだ……」
真白も見上げる。
薄雲の向こうに、いくつもの小さな光が滲んでいた。
「子どものころ、流れ星見たことある?」
「一度だけ。森の奥で」
「願い事、した?」
「うん」
アレクシスの声が少しだけ柔らかくなる。
「“この夜が、終わりませんように”って」
真白は、その言葉に小さく笑った。
「今も同じこと、思ってる?」
アレクシスは答えず、代わりにゆっくりと首を傾けた。
夜風が二人のあいだを通り抜ける。
その距離が、どこか確かに近づいた気がした。
「ねえ、アレク」
「うん?」
「こういう時間って、永遠には続かないのかな」
「たぶんね。でも、続かないから覚えてるんだと思う」
静かな会話の後、
真白はふと、ベランダの手すりに腕を置いた。
手の甲に風が触れる。
その冷たさに、昼の暑さの記憶が遠のいていく。
アレクシスが、グラスを差し出した。
氷が溶けかけたコーヒーの中で、カランと音がした。
「飲む?」
「うん」
真白はグラスを受け取り、少し口をつける。
冷たさが喉をすべり落ちて、胸の奥に広がった。
「……ねえ」
「うん?」
「今日も一緒にいてくれて、ありがと」
アレクシスは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。
「こっちこそ。君がいてくれるから、夏も悪くない」
しばらくして、真白が欠伸をした。
アレクシスは笑いながら、そっと肩に手を置いた。
「そろそろ寝よう。風邪ひくよ」
「……うん」
ベランダの明かりを消すと、夜が一段と深くなる。
部屋に戻るその瞬間、真白はもう一度だけ外を見た。
夜空には、さっきよりも星が増えていた。
——この時間が、止まらないでいいのに。
心の中でそう呟いて、
真白は静かに部屋の扉を閉めた。