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夏帆がインターホンを押すと、ドアがすぐに開いた。
「いらっしゃい。どうぞ、上がって」
「お邪魔します」
玄関に足を踏み入れた瞬間、夏帆は思わず目を見張った。
同じマンションとは思えないほど、空気が違う。
とにかく物がない。
玄関マットもスリッパラックもなく、余計な飾りも一切ない。
透也の靴さえ出ておらず、ただ清々しいほどの“空間”が広がっていた。
「わあ……すっきり!」
そのつぶやきに気づいた透也が、楽しそうに笑う。
「本当に物がないでしょ?」
「はい。想像以上です。まさに“ミニマリストマスター”ですね」
「なに、その、“ジェダイマスター”みたいな言い方」
「ふふっ、本当だ」
「あはは、夏帆ちゃん、おもしろ~」
笑いながら、透也はシューズラックからスリッパを取り出し夏帆の前に置いた。
「ありがとうございます」
「料理はもうできてるから、さあ、どうぞ~」
廊下を進むと、ふわりといい香りが漂ってきた。
この前レストランで感じた香りにどこか似ている。
「いい匂い~」
「まあ、食べてみて、正直な感想をお願いね」
「はい」
夏帆は透也の後ろをついてリビングへ入った。
ライトブラウンのソファ、オフホワイトのラグ、同じ色味のブラインド。
カウンターキッチンの前には北欧風のナチュラルな木肌のテーブル。
窓際には大きな観葉植物が二つ。どちらもきちんと手入れされていて生き生きとしている。
壁には大型テレビとスピーカー。
それ以外には何もなく、窓から降り注ぐ光が柔らかく反射し、室内全体が明るく感じられた。
黒一色や鏡張りの“いかにもホスト”という部屋を想像していた夏帆は、目の前の光景に思わず息を漏らす。
(この人、センスあるんだ……)
ふと、駿介の散らかった部屋を思い出し、自然と比較してしまう。
「夏帆ちゃん、座って待ってて。今、用意するから」
「あ、はい。お部屋、本当に素敵ですね。すっきりしてるのに温かみがあって……同じマンションとは思えません」
「そう? まあ、物は少ない方だよね」
「間取り、うちとは少し違うみたいですけど……」
「ここは2LDKなんだ。このマンションの両端は全部そう。リビングの他に二部屋あって、ひとつは仕事部屋にしてる」
(仕事部屋? 帳簿付けとかの事務作業でもしてるのかな……)
夏帆はそう納得した。
「そうなんですね~。でも、本当にすっきりしてて過ごしやすそう」
夏帆は微笑みを浮かべたが、急に思い出したように手土産のクッキーを差し出した。
「あの、これ……クッキーなんですけど……よかったら」
「ええっ、気を遣わせちゃったね。でもありがとう。食後のデザートにいただこうか」
透也は嬉しそうに受け取り、ふと思い出したように声を上げた。
「おっと、そうだ。また忘れるところだった」
そして、カウンターの上に置いてあった封筒を、夏帆に差し出す。
「返すの遅くなってごめん」
「?」
「借りてた千円だよ」
「あっ、私も忘れてました」
「あのときは本当に助かったよ。クタクタで歩けなかったからね」
「あのあと、タクシーで帰ったんですか?」
「うん。すごく助かったよ。ありがとう」
夏帆はうなずきながら封筒を受け取った。
「そういえば、カノープスって見えたか聞くの忘れてました」
「それがさ、雲が多くて見えなかったんだよね~」
「それは残念でしたね。長野の実家からなら見えるんですけど」
「え? 夏帆ちゃんの実家、長野なんだ」
「はい。近くに木崎湖って湖があって、“龍が渡る”っていう伝説があるんです。その龍の正体がカノープスなんですよ」
「へえ……それは知らなかったな。ちなみに、夏帆ちゃんは見たことあるの?」
「もちろん。子供のころに何度も!」
「羨ましいなあ……。じゃあ長生き決定だね」
「ふふ、そうですね」
「じゃあ俺も、いつか長期休暇が取れたら行ってみるかなあ」
「ぜひ!」
夏帆は嬉しそうにうなずいた。
椅子に腰を下ろすと、透也がシチューを盛り付けながら尋ねた。
「ところで、さっきの会話、聞いてた?」
「はい。ドアを少し開けてこっそり……」
「差し出がましく言いすぎたかもしれない。ごめんね」
「いえ……。言っていただいて、すっきりしました。彼と別れるとき、私あまり言えなかったので」
「それならよかった。あ、伊坂が持ってきた写真集は俺が責任持って売りに行くよ。現金に変えたら、ポストに入れておくから」
「えっ? そこまでしていただかなくても自分で……」
「大丈夫、気にしないで。夏帆ちゃんは触るのも嫌だろ?」
有無を言わせぬ口調だったので、夏帆はありがたくお願いすることにした。
盛り付けが終わると、透也が料理を運んできた。
「わあ、美味しそう! レストランみたい!」
とろとろに煮込まれたシチューは上品な皿に盛られ、彩り豊かなサラダとパンが添えられている。
「この前はノンアルだったから、今日はちゃんとしたワインね」
透也はワインセラーから赤ワインを一本取り出し、栓を開けてグラスに注いだ。
席につくと、夏帆に向かって言う。
「じゃあ乾杯しようか。夏帆ちゃんの天敵を無事撃退できたことに、乾杯!」
「乾杯! 撃退ありがとうございました~」
夏帆はクスクス笑いながら、ワインを一口飲んだ。
飲んだ瞬間、芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
「おいしーい」
「お、本当に美味い! いただきもののワインなんだけどね」
ボトルを見ると、かなり高価そうだ。
(そっか……ホストはこういう贈り物をいっぱいもらうんだ)
「じゃ、食べてみて」
「はい。いただきま~す」
シチューを口に運ぶと、コクがあるのにまろやかで、口の中にうま味が一気に広がった。
「どう?」
「すごく美味しいです」
「この前のレストランの味とは?」
「かなり近いです。ほとんど同じと言ってもいいかも」
「それは嬉しいな。あとは、どうすれば完璧になるかなあ?」
「バター……かな? 火を止める直前に入れるとさらにコクが出るかも」
「バターか!」
透也は意外そうに目を丸くした。
「なるほど。夏帆ちゃん、料理得意なんだ?」
「得意じゃないですけど、バターを入れるとコクが出るって前に何かで見て、入れるようにしてます」
「そっか。じゃあ今度作るときは入れてみるよ」
「ぜひ。でも、このままでも十分美味しいですよ」
夏帆は嬉しそうにもう一口食べる。
その様子を嬉しそうに眺めながら、透也も食べ始めた。
気づくと、部屋には軽快なジャズが流れていた。
まるで、本当にレストランにいるような気分だ。
(同じマンションにいるのに、まるで違う世界にいるみたい……)
居心地の良さは、マンションの古い新しいではなく、自分でどう作るかなんだと夏帆は感じた。
そして、こんな暮らしをしている透也に、さらに興味が湧いてくる。
そのとき、透也が口を開いた。
「で、就活の方は、その後どんな感じ?」
「あ……それがですね、一つ応募をしたところの書類選考が通りました」
「おっ、それはおめでとう。次は面接?」
「はい。明後日なんです。もう今から心臓ドキドキで」
興奮気味に話す夏帆を見て、透也は嬉しそうに微笑んだ。
「そっか。気に入った会社なんだろう? だったらしっかり頑張らないとね」
「はい」
「俺も応援してるから」
「ありがとうございます」
応援してくれる隣人がいる。
そう思うと、胸の奥が温かく満たされていく。
(本当に、頑張らなくちゃ!)
夏帆は新たな決意を胸に、明るい笑顔を見せた。
瑠璃マリコ
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桃下結衣
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コメント
43件

まだまだホストと思っているところがいい

二人の距離がグッと縮まった場面ですね🥰 ミニマリスト真似したい🤣
一緒にビーフシチュー♡ 駿介撃退できて良かった🙌 透也さんの気遣いも素敵✨️だし… なんだかお2人の空気がいい感じ♡ 夏帆ちゃん面接頑張って😊 そして、その時の反応が楽しみです🤭︎