テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
橘靖竜
121
1,346
不正事件は、ひとつの事件ではなかった。
真琴は、資料を机いっぱいに広げながら、ようやくそれに気づいた。
帳簿だけを見れば経済事件。
議事録だけを見れば行政判断。
証言録だけを見れば現場判断の集合体。
だが、それらを同時に置いたとき、輪郭が変わる。
これは「不正を行った誰か」がいる話ではない。
不正が成立するように設計された配置だ。
誰かが強く命じた形跡はない。
脅迫も、明確な捏造も、直接的な改ざんもない。
あるのは――
判断の分散。
責任の薄まり。
「今は仕方ない」という言葉が通用する余白。
「……綺麗すぎる」
真琴は呟いた。
この事件には、悪役がいない。
全員が“自分の持ち場”だけを守っている。
書類を処理した者は、
「前例に従っただけ」。
確認印を押した者は、
「形式上の確認をしただけ」。
証言した者は、
「事実を述べただけ」。
そのすべてが正しい。
そして、そのすべてが――致命的だ。
真琴は、ひとつの流れを指でなぞる。
告発。
調査。
証言。
決裁。
完了。
どこにも、止める役がいない。
いや、正確には――
止める役が“存在しない形”になっている。
もし誰かが疑問を呈しても、
「全体を見ているわけではない」から、踏み込めない。
もし誰かが拒否しても、
「他で補われる」から、流れは止まらない。
だから、不正は成功する。
「……これ、偶然じゃない」
真琴は資料から顔を上げた。
不正が“うまくいった”のは偶然じゃない。
うまくいくように組まれている。
この構造の恐ろしさは、
誰かを告発しても終わらないことだ。
一人捕まえても、
ひとつの部署を潰しても、
この形はまた別の場所で再現される。
真琴は、連続失踪事件のファイルを横に置いた。
まだ線は引かない。
だが、確信に近い予感があった。
この不正事件は、
「終わったから安全」なのではない。
終わったからこそ、触れてはいけない。
成功した不正は、
否定されると、全体が崩れる。
誰かが悪だったと確定すれば、
誰かが正しかったと証明しなければならない。
だが――
この事件では、それができない。
正しさを選んだ人間が、どこにもいないからだ。
真琴は、父の残した走り書きを思い出す。
「真実は、
隠されるより先に、
使われない場所に置かれる」
「……ここか」
まだ名前はいらない。
まだ犯人もいらない。
必要なのは、
この不正が“成立してしまった理由”を理解すること。
真琴は、失踪者名簿のページをめくった。
次に見るべきものが、はっきりしてきた。