テラーノベル
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その夜、星降る橋には人影がほとんどなかった。
祭り前の点検日でもないのに、ヴィタノフだけがひとりで橋を見て回っている。ランブリング班の帰り道、サベリオはその背中を見つけて足を止めた。
月はまだ丸くなりきっていない。川から上がる湿った風が、橋板のすき間を抜けていく。ヴィタノフはしゃがみ込み、欄干の根元に手を当て、耳を近づけていた。
「まだ帰ってなかったのか」
サベリオが言うと、ヴィタノフは振り向きもせず返した。
「橋は帰らない」
「そういう意味じゃない」
「わかってる」
短いやり取りのあと、サベリオは黙って隣にしゃがんだ。木の表面は昼の熱を失って、もう少しで夜に飲まれそうな温度だ。指で触れると、ごく小さなざらつきがわかる。
「この前、言ってたよね」
サベリオが口を開く。
「落ちるのは物だけじゃないって」
ヴィタノフは工具を差し替えながら、少しだけ間を置いた。
「橋は正直だ」
「正直?」
「重い場所は沈む。ゆるい場所は鳴る。傷んだ場所は先に教える。人間はそうじゃない」
風が強くなる。橋の下で川が低く鳴った。
「人は平気な顔をする」
ヴィタノフは続ける。
「責任があるやつほどな。落ちかけてからも、自分はまだ立ってると思い込む」
サベリオは、アルヴェの顔も、ダニエロの顔も、自分の顔も思い出した。
「橋の事故って、やっぱり構造だけじゃない?」
「構造だけなら直せる」
ヴィタノフはようやくこちらを見た。
「怖いのは、急いでるやつ、言えないやつ、我慢してるやつが同じ夜に重なることだ。誰かが一歩ずれる。そのずれで、物も人も落ちる」
言葉数は少ないのに、ひとつひとつが重い。
サベリオは橋の向こうを見た。満月の夜には、ここへ灯りと人が集まる。笑い声も、叫び声も、夢も不安も、全部が一か所へ押し寄せる。そこに少しのひびがあれば、たしかに壊れるのは木だけでは済まない。
「じゃあ、何を直せばいい」
思わずこぼれると、ヴィタノフは手元の金具を締めた。
「全部だ」
「雑だな」
「雑じゃない。橋も、人も、導線も、言葉もだ」
その返事に、サベリオは苦く笑った。前より答えが広がっているぶん、難しさも増している。だが間違ってはいないと思えた。
ヴィタノフは最後に橋板を足で踏み、わずかなきしみを確かめた。
「お前、前より周りを見るようになった」
「いいこと?」
「少なくとも、自分の足元だけ見て転ぶやつではなくなった」
それは褒め言葉なのか分からなかったが、悪い気はしなかった。
帰り際、ヴィタノフはぽつりと言った。
「落ちる前なら、直せる」
それだけ残して、工具箱を持って歩き出す。
橋の上には、まだ誰もいない。けれどサベリオには、見えない重さがいくつもここへ集まり始めているのがわかる気がした。
木のきしみだけを聞いていた頃には気づけなかったものが、今は少しずつ聞こえている。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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