テラーノベル
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夜。
部屋の電気は消していた。
ベッドにも入っていた。
けれど、遥は眠れなかった。
静かな天井を見上げる。
目を閉じる。
閉じるたびに、昼間のことが浮かんだ。
購買。
缶ジュース。
教室。
そして。
『……分かった』
日下部の顔。
胸の奥がざわつく。
(違う)
遥は目を閉じたまま眉を寄せる。
(考えんな)
あんな顔。
知らない。
知らなくていい。
気にするな。
慣れるな。
期待するな。
そうやって自分に言い聞かせる。
それなのに。
気づけば。
昼休みの何でもない会話ばかり思い出してしまう。
『その量で別にじゃねぇだろ』
『持てるから』
『意味分かんねぇ』
『俺も分かんねぇ』
馬鹿みたいな会話。
なのに。
胸の奥が少しだけ緩む。
それが嫌だった。
気持ち悪かった。
安心するな。
そんなもの、続かない。
人なんか変わる。
離れる。
壊れる。
いなくなる。
知っている。
何度も。
知っている。
だから。
その瞬間。
ガチャ。
ドアが開いた。
遥の身体が反射で強張る。
颯馬だった。
何も言わず部屋へ入ってくる。
ノックはない。
昔からだ。
遥の部屋。
遥の時間。
そんなものに意味はない。
颯馬はスマホをいじりながら、ベッドの横まで来た。
「起きてんじゃん」
「……」
「……何」
返事が遅れた。
それだけ。
それだけだった。
颯馬の視線が向く。
「聞こえてたよな」
「……悪い」
「別に」
そう言いながら。
ベッドの脇に腰を下ろす。
遥は少しだけ呼吸を浅くした。
「最近」
颯馬が言った。
「余計な癖ついた?」
「……」
「顔」
遥の喉が動く。
「前より分かりやすくなってんぞ」
「知らねぇ」
「知らねぇじゃねぇよ」
笑う。
機嫌は悪くない。
その方が嫌だった。
「外で変なもん覚えてくんなよ」
「……」
「何回教えた?」
答えない。
答えは決まっているから。
「人に期待すんな。
余計な感情持つな。
勝手に浮かれるな。
勝手に安心すんな。
忘れた?」
遥は目を逸らした。
忘れていない。
忘れられるわけがない。
颯馬は鼻で笑った。
「覚えてる顔だな」
沈黙。
「ならいい」
そのまま立ち上がる。
帰るのかと思った。
けれど。
ドアの前で止まる。
「勘違いすんなよ」
振り返らないまま。
颯馬は淡々と言った。
「お前が何考えてようが別にいい。どうでもいい。でも、余計な方向向くたびに、直すの面倒なんだよ」
静かな声。
怒鳴りもしない。
ただ。
当たり前のことを確認するみたいに。
「ちゃんと覚えとけ。お前はお前でいろ。勝手に変わんな」
ドアが閉まる。
静寂。
遥は動かなかった。
何も変わらない。
昔からそうだった。
感情を持つな。
期待するな。
安心するな。
変わるな。
ずっとそうやって生きてきた。
だから。
おかしいのは自分だ。
日下部といると、少しだけ楽になる。
少しだけ笑える。
少しだけ息がしやすい。
その全部が。
怖かった。
付き合っている。
好きなんだと思う。
たぶん。
でも。
それ以上に。
そんな自分が、怖かった。
ベッドの上で丸くなる。
胸の奥が痛い。
殴られた場所じゃない。
もっと内側。
名前のない場所。
目を閉じる。
すると。
また浮かぶ。
笑っている日下部。
呆れた顔の日下部。
背を向けた日下部。
そして。
『俺なんかしたか』
あの声。
「……してねぇよ」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
「してねぇ……から、嫌なんだよ」
返事はない。
当たり前だ。
それでも。
遥はしばらく目を閉じられなかった。
眠ってしまったら。
明日になってしまう。
明日になれば。
また日下部に会う。
会ってしまう。
そして。
また少しだけ。
安心してしまう。
それが。
何より恐ろしかった。
コメント
1件
うわ……99話めっちゃ重かった。遥の「安心するな」って自己暗示、読んでて胸がギュッとなるわ。日下部といると楽になる自分が怖いって、その感覚めちゃくちゃリアル。颯馬の「勝手に変わるな」も圧がすごい……この家の空気、壊れてるのに日常って感じがヤバい。遥の「してねぇから嫌なんだよ」、そこまで自己否定しなくても……って思わずにはいられなかった。次、どうなるんだろう。
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