テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
空乃 美晴
89
雨晒しの原稿用紙
開発室の空気は、企画部よりさらに容赦がなかった。
金型の図面、素材サンプル、工具、試作品。机の上には夢の材料が並んでいるのに、浮ついた感じがまるでない。少しでも油断したら、玩具ではなく事故が生まれる場所だと、室内の匂いが教えてくる。
「見学は五分。邪魔はするな」
ディトは最初から機嫌がよくない。
クリストルンは渡された白手袋をつけながら、負けじと口を開く。
「邪魔はしません。でも見たいです」
「言い方だけは前向きだな」
「そこは褒めてください」
「褒めてない」
机の上に置かれていた布の見本を、ディトが一枚ずつ指ではじく。
「やわらかければいいわけじゃない。毛羽立てば誤飲につながる。硬ければ顔に当たって痛い。縫い目が出すぎても駄目。音が鳴れば喜ぶが、部品の固定が甘ければもっと駄目だ」
次々と言葉が落ちてくる。
夢を削る言葉ではなく、夢を守るための条件だった。
クリストルンは思わず真顔になる。
「玩具って、こんなに細かいんですね」
「子どもに渡る物だ。細かくなかったら終わりだ」
「……泣けるだけじゃ売れない、って昨日も言ってましたもんね」
「売れないだけならまだいい。危ないものは売ってはいけない」
ディトは角を削った木型を彼女に渡した。
見た目では分からないが、指でなぞると、ほんの少しの引っかかりが残っている。
「これを子どもが持つ」
「痛いかも」
「そうだ。大人が平気でも、子どもの指は小さい」
クリストルンは木型を見つめる。
ディトの不愛想さの奥に、譲らない線が見えた。
帰り際、彼女は立ち止まった。
「私、親の声を預かるぬいぐるみを考えてます」
「知ってる」
「安全面で難しいのは分かります。でも、考えたいです」
「勝手に考えろ」
「相談には」
「乗らん」
「少しは」
「……形になる前ならな」
クリストルンが顔を上げると、ディトはもう次の試作品を見ていた。
それでも最後に、ぽつりと落とす。
「おまえの父親も、そこだけは絶対に曲げなかった」
その一言で、開発室の機械音が急に遠くなった。
モンジェの過去は、やはりここに残っている。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!