テラーノベル
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午後の光が、カーテン越しに部屋の奥まで伸びていた。
アレクシスはデスクに向かったまま、キーボードから一度だけ指を離す。画面の端で保存の表示を確認してから、ゆっくり背もたれに体を預けた。
キッチンのほうから、湯が沸く音がする。
真白が在宅の日だ。
「……コーヒー、淹れるけど飲む?」
少し間を置いてから、アレクシスは振り返らずに答えた。
「うん。ありがとう」
真白の足音は、家の中でもわかりやすい。急がず、でも迷いもなく動く。仕事中のときは特に、余計な音を立てないようにしているのが伝わってくる。
マグカップが二つ、テーブルに並ぶ音。
アレクシスは立ち上がり、伸びをしてからリビングへ行った。
真白はソファに腰を下ろし、ノートパソコンを膝に置いたまま画面を睨んでいる。眉間に少しだけ力が入っていて、集中しているのが一目でわかった。
「……それ、今日中?」
「うん。一区切りつけたい」
短く答えてから、真白は画面から目を離さずにカップを持ち上げる。飲む、というより口をつけるだけ、という仕草だった。
アレクシスは何も言わず、向かいに座る。
コーヒーの香りが、部屋の空気をゆっくりと落ち着かせていく。
しばらくは、キーボードを叩く音と、ページをめくるような思考の間だけが流れた。会話はないが、気まずさもない。
「……あ」
ふと、真白が小さく声を漏らす。
「どうした?」
「同じところ、二回直してた。無駄だな」
そう言って、苦笑する。
アレクシスは少し首を傾げた。
「無駄じゃないと思うけど。確認できたなら」
真白は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を戻した。
「……そういう考え方、楽だよね」
責めるでもなく、羨むでもない声だった。
アレクシスはマグカップを両手で包み、少しだけ考えてから答える。
「外で使わない分、家では余裕があるだけだよ」
真白は小さく息を吐いた。
「じゃあ、今日はちょっと甘えていい?」
「どうぞ」
その返事を待っていたみたいに、真白はノートパソコンを閉じ、ソファの背もたれに体を預ける。肩の力が抜けるのが、はっきりわかった。
アレクシスは立ち上がり、ブランケットを持ってくる。何も言わずに、真白の肩にそっと掛けた。
「……あったかい」
「暖房、弱めてるから」
「うん。ちょうどいい」
真白は目を閉じない。ただ天井を見たまま、しばらくじっとしている。
アレクシスも隣に座り、何もせずに同じ時間を過ごす。
仕事は、もう少しで終わる。
でも、この静かな間は、急がなくていい。
コーヒーが冷めていく音だけが、ゆっくりと午後を進めていた。
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