テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
54
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「リコ様、お迎えに上がりました。……ご実家との契約、覚えていますね?」
ロンドンのライブ会場。華やかな熱狂の裏側で、冷徹なスーツの男たちの声が響く。リコの正体は、世界的な食品系財閥の令嬢だった。10年前の失踪も、この10年の放浪も、すべては「自由の猶予期間」に過ぎなかったのだ。
「……ハル。ごめん、私、もう行かなきゃ」 リコが魔法使いの帽子を脱ぎ捨てようとしたとき、ハルがその腕を強く掴んだ。
「ふざけるな。まだ、最後のデザートも食べてないだろ」
ハルは震えるリコを背中に隠し、男たちに向かってレコーダーを突き出した。そこには、世界中で録り溜めた「生きた音」が詰まっている。
「あんたたちが連れ戻そうとしてるのは、ただの令嬢じゃない。世界を揺らす楽器だ。……リコ、衣装を脱ぐな。そのままステージへ上がるぞ」
観客席には、リコを連れ戻しに来た「現実」の象徴である父親と、黒ずくめの警護員たちが陣取っていた。 ハルが奏でる一音目は、不協和音だった。冷たくて、鋭い、拒絶の音。 リコはステージの真ん中で、震えながらも「世界で一番高価なキャビア」を口に運んだ。
――プチン、プチン。
その贅沢な音が、ハルのノイズと混ざり合う。 「……おいしい。でも、これじゃない!!」 リコはキャビアの瓶を放り投げ、カバンからクシャクシャになった「10円の駄菓子チョコ」を取り出した。
「私は、こっちの音が好きなの!!」
――パキッ!!!
その安っぽい、けれど力強い音がスピーカーを通じてロンドンの空を震わせた瞬間、ハルの旋律が爆発した。 財閥のルール、令嬢の義務、大人の事情。それらすべての「静かなノイズ」を、二人の圧倒的な音楽が飲み込んでいく。
「聴け! これがリコの、俺たちの、誰にも縛られない音だ!」
客席で顔をこわばらせていたリコの父親は、やがて呆然と立ち尽くした。そこにあったのは、娘の「わがまま」ではなく、何万人の心を震わせ、踊らせ、熱狂させる本物の「命」の輝きだったからだ。
ライブ終了後。楽屋に現れた父親は、一言だけ告げた。 「……そのノイズ、少しばかり騒がしすぎる。だが、腹には響いた。好きにするがいい。ただし――」 父親はハルを睨みつけた。 「次、娘に痩せ細った音を立てさせたら、その時は私が力ずくで連れ戻す」
それは、世界で一番厳しい「音楽監督」からの合格通知だった。
「……やったね、ハル」 「ああ。……食いすぎだ、リコ。泣き顔がソースでめちゃくちゃだぞ」
二人はボロボロのローブを着たまま、ロンドンの路地裏で一本のチュロスを分け合った。 ――サクッ。 その音は、これまでのどの音よりも深く、甘く、二人の胸に響いた。