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モンシロが渋い顔をしたまま言う。
「不吉だ」
「では班長殿はどうぞ」
「……『持ち場を離れるな』」
「最期まで仕事の話だ!」
レドルフが大げさに嘆き、避難室に小さな笑いが漏れた。ハディジャは鍋の匂いに釣られるように口元を緩め、肩をすくめる。
「じゃあ俺は、『明日の朝に食う予定だった干し梨、誰にもやらねえ』」
「小さい」
ロビサが言うと、彼は真顔で返した。
「大事だぞ。あれ高いんだ」
「最期の言葉がそれですか」
「じゃあ変える。『俺の道具箱に入ってる請求書は、三番目だけちゃんと払ってもらえ』」
「さらに細かくなった……」
レドルフが腹を抱えて笑い、つられてリュバまで肩を揺らした。
ハディジャは、思った以上に受けたのが気に入ったらしく、少し得意そうに顎を上げる。
「まだあるぞ。『俺が死んだら、工具の中でいちばん大事なのは、あの細い……ほら、なんだ、曲がった先で挟むやつ』」
「鉗子?」
リュバが助け舟を出す。
「違う、それじゃ医者だ。あの、木箱の金具を起こす……」
「鑿ですか」
「いや、削らねえ。起こすんだよ。こう、ぱかっと」
身振りが雑すぎて誰にも伝わらない。
ロビサはとうとう堪えきれず、吹き出した。自分の口からこぼれた笑い声が、避難室の天井へ当たって返ってくる。こんな場所で、こんな状況で笑うなんて、少し前の自分なら考えもしなかった。
するとハディジャが、こちらを見て目を丸くした。
「お。やっと笑った」
その言い方が気恥ずかしくて、ロビサはすぐに顔を背けた。
「うるさいです」
「いや、今のはうるさく言われても得した」
エナシェが鍋をかき混ぜながら、ふっと息をつく。
「そうそう。その顔をしなさい。死人の名を記す役目でも、生きてるうちに笑える顔まで捨てることないわ」
湯が煮立ち、彼女は木椀を順に配った。薄い塩味に薬草の青さ、干し肉の脂が溶けている。ご馳走ではない。だが、一口飲んだ瞬間、冷えて縮こまっていた内臓が、ようやく自分の居場所へ戻ってくるようだった。
レイノルデが椀を両手で包み、目を細める。
「いい匂いだ」
「先生は黙って飲んでください。感想は三口飲んでから」
「厳しいな」
「そういう顔色の人には厳しくするの」
少しずつ、避難室の空気が人の居る部屋のものに戻っていく。
そのときだった。
通路の奥から、急ぐ足音がひとつだけ近づいてきた。
モンシロが椀を置く。ハディジャも立ち上がる。今度の気配は軽い。だが乱れている。追われて走ってきた足だ。
扉が叩かれた。
「開けて。私よ」
その声を聞いた瞬間、ロビサの手が止まった。
ヴィットリアーナだった。
モンシロが警戒を残したまま扉を開く。入ってきた彼女は、いつもの監察院の制服の上へ灰色の外套を重ねていたが、裾は泥にまみれ、結い上げた髪も半ば崩れている。呼吸は乱れ、頬には擦り傷まであった。こんな姿は学院時代でも見たことがない。
「追手は」
モンシロが問う。
「撒いたわ。長くは保たないけれど」
ヴィットリアーナはそれだけ言うと、部屋の中を見回し、最後にロビサへ視線を止めた。ロビサの胸の奥で、さっき鍋が温めたばかりのものが、また別の熱を帯びる。
来ると思っていなかった。
来てほしくなかったわけでもない。
そのどちらでもある自分が、いちばん面倒だった。
「……何をしに来たの」
ロビサの声は、思ったより硬かった。
ヴィットリアーナは一瞬だけ目を伏せた。あの人が、人前で言葉を探している。学院で答案を読み上げるときですら、もっと迷いがなかったのに。
「監察院の記録庫を見たわ」
彼女は言った。
「三年前の件と、今回の花嫁開封の承認文書。どちらにも同じ署名の癖があった。上層部は、ずっと同じ手で記録を押し通していた」
「それを今さら持ってきたの」
「今さらでも持ってくるしかなかった」
ロビサは立ち上がった。
「三年前、あなたは知っていたでしょう」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「私がやっていないって。少なくとも、あの改竄文書が私の手じゃないって」
ヴィットリアーナは、真っ直ぐこちらを見ることをやめなかった。
「知っていた」
「じゃあ、どうして」
「言えなかった」
避難室の火が、小さく鳴る。
誰も割って入らない。入れないのだ。
「家の命令だったの」
ヴィットリアーナは掠れた声で続けた。
「父が言ったの。監察院へ入ったばかりの私が上に逆らえば、文書も証言も全部握り潰されるって。今黙れば、あとで調べ直す道が残るって」
「残らなかった」
ロビサは一歩前へ出た。
「何も残らなかった。私は一人で疑われて、局でも学院でも腫れ物みたいに扱われて、あなたは何も言わなかった」
「わかってる」
「わかってない!」
叫んだ瞬間、喉が痛んだ。
それでも止まらない。
【続】
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るるくらげ