テラーノベル
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リビングの空気が、静かに淀んでいた。テレビの音がついている。けれど内容は何も頭に入ってこない。
それはただの“背景音”──この部屋の、空気の密度を濁らせるための。
ソファの端に沙耶香。
蓮司はその足元、横座りになって腕を預けている。
その姿はまるで、愛人か、飼い慣らされた獣のようだった。
そして遥は、対角の椅子に小さく座っていた。
逃げ場のない距離。目を逸らしても、空気だけは体内に入り込んでくる。
「ねえ、遥」
蓮司が不意に言った。
声はいつものように飄々と軽い。だがその語尾に、わずかな熱を含ませている。
「この部屋ってさ、なんか、変なこと考えちゃうよね」
「……は?」
「ほら。こうやってさ、三人でいてさ。沙耶香は綺麗で、遥は……」
蓮司の目が遥の脚をなぞるように流れていく。
視線だけで、皮膚がざらついていく感覚。
「さっきお風呂上がったばっかじゃん? ……いい匂い」
言いながら、蓮司は沙耶香の方に顔を向けた。
沙耶香は笑っていた。
怒りもしない、止めもしない。その微笑は、全てを肯定する“沈黙の許可”。
「遥ってさ……ほんと、触りたくなるとこばっかだよね」
その一言に、遥の指先がぴくりと動いた。
「……ふざけんな」
掠れた声。
けれど、その拒絶には力がない。
そのことを、蓮司は誰よりもよく知っている。
「触らないよ。安心して? 今は、ね」
その“今”が、遥の心を刃のように裂いた。
「沙耶香がいるから。沙耶香の前で無理に触るような野暮なこと、俺しないし」
「……でもさ」
蓮司は、ゆっくりとソファに深く沈みながら言う。
「三人って……なんか、ちょうどよくない?」
視線がまた遥に戻る。
その目は、獲物を見るものじゃない。
ただ、「どこまでなら壊れるか」を冷静に測る実験者の目。
「なに、期待してんの?」
遥の呼吸が浅くなっていた。
期待なんか、してない。
してるわけがない。
でも──
でも。
それを見透かすように、蓮司は一歩、脚を投げ出した。
ソファの端から、遥の膝に触れそうなほど近く。
「正直に言ってみてよ。
“俺を、壊して”って思ったこと、一度もないって?」
それは、遥の一番深い底に沈んでいる欲望に、直接指を差し込んでくる言葉だった。
沙耶香が、グラスを揺らす音だけが静かに響いた。
「蓮司」
沙耶香が名前を呼んだ。
それは制止ではない。ただの“合図”だった。
「やりすぎると、つまらなくなるわよ」
「うん。だから、今日はこのくらい」
蓮司はゆっくりと身を起こした。
遥の頬のすぐ近くで、低く囁くように言う。
「……夢、見ろよ」
その声が、耳の奥に焼きついて離れなかった。
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