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「……俺、最近、全部怖いんです」
開口一番にそう言ったその子は、背筋だけは真っ直ぐだった。制服の第一ボタンまできっちり留めて、まるで息苦しさを隠すために整えているようだった。
「誰かを傷つけたくないし、失望させたくないし、怒られたくないし、間違えたくないし……。でも、何をしても“足りない”って思われる気がして。自分でも、そう思ってしまって。正しい人間でいなきゃって……」
下を向いたまま、手の甲をぎゅっと握る。爪が食い込んでいた。
日下部はしばらく何も言わなかった。無言のまま、その子の前のテーブルにココアを置く。
「……怒ってません?」
「なんで俺が怒る」
低く、ぶっきらぼうに言う。でも声には棘がなかった。
「俺の言ってること、間違ってるから……。“甘えてる”って思うでしょ?」
日下部は、それにはすぐに返さなかった。少しだけ目を細めて、椅子にもたれた。
「“正しい人間”って、誰が決めた?」
「……世の中?」
「“正しさ”って、わりと都合いいぞ。場面によって変わる。人によって違う。だから、自分の全部をそれに合わせてたら、いつか壊れる」
沈黙。ココアがほんの少し湯気を立てていた。
「でも……誰にも嫌われたくなくて……」
「それ、“正しさ”じゃなくて、“怖さ”だろ」
その子の指先が、ピクリと動いた。
「誰に嫌われてもいいとは言わねえ。けど、自分のこと全部押し潰してまで笑ってるの、見てるこっちがきつい」
不器用に言った日下部の声は、どこまでもまっすぐだった。
「……じゃあ、どうすれば……?」
「そんなもん、ちょっとずつズレろ。完璧じゃなくていい。真面目を捨てろとは言わねえ。でも、背負いすぎてる奴は、たいてい誰かに“勝手に”押し付けられてる」
その子は、少しだけ顔を上げた。日下部は立ち上がり、ココアのカップを少し押しやる。
「温かいうちに飲め。たまには自分に優しくしとけ」
その子は、小さく「……はい」と言った。
その声が、ほんの少しだけ軽くなっていたことに、日下部は気づいていた。