テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
朝、教室の空気が異様に静かだった。
窓際の席に座る遥の机の上には、誰かが置いた空のジュース缶が転がっている。潰れた缶の口には、まだ乾ききらない液体がこびりついていた。
昨日、何があったのか――全員、知っている。
ただ、誰も“それ”を言わない。言わせようとするだけだ。
「なあ、昨日どこ行ってたの?」
笑いながら男子が声をかける。
遥はノートを見つめたまま、答えない。
「サボり? それとも、誰かと“特別な時間”?」
どっと笑いが起きる。笑い声の中に、嘲りと悪意がまざっている。
誰も止めない。教師でさえ、黒板の前で腕を組んだまま、沈黙して見ている。
「言えよ。昨日、どこ行ったの?」
「……帰ってた」
声がかすれる。
「ウソつくなって。みんな見てたんだぜ? あいつらと一緒だったの」
「あいつら」――それだけで、教室の空気がぴりつく。
遥の手が机の端をぎゅっと握りしめる。
「違う……」
「違うって何が? お前、昨日どうされてたの?」
「言えよ。はっきり言え。お前の口で」
押し寄せる声の波。
遥の喉が震える。何を言えばいいのか、何を言っても嘲られることが、もう分かっている。
「……言いたくない」
その瞬間、教師が前に出た。
「言いたくない、じゃない。ここは学校だ。自分の行動には責任を持ちなさい」
静かな声。それが余計に冷たく響く。
「何をしていたのか、みんなに説明しなさい」
「……何も」
「“何も”でそんな顔になるわけないだろう?」
教室の後ろから笑い声。誰かが小声で囁く。
「体、痛そうだったもんな」
「声聞こえたってよ」
遥は俯いたまま、膝を握る。
身体がまだ重い。痛みがある場所を隠すように、姿勢を丸める。
「黙るなよ。ほら、先生も聞きたいってさ」
「……」
「お前さ、“されるの”好きなんだろ?」
笑いが広がる。
誰かの声が飛ぶ。
「気持ちよかったか?」
それに続いて、別の声が重なる。
「ちゃんと答えろよ。嬉しかったんだろ?」
「……違う」
「じゃあ何が違うんだ。嫌だったのか? 嫌だったならなんで逃げなかった?」
遥の口の中が乾く。声にならない言葉が喉でつかえる。
「……怖くて」
それだけ言うと、笑いが爆発した。
「怖くて? なにそれ、ダサ」
「男のくせに泣いて?」
教師が軽く笑って、チョークを指で転がした。
「遥、被害者ぶるのはやめなさい。みんな、冗談で言ってるだけだろ?」
「……冗談じゃない」
かすれた声が教室の空気を震わせる。だが誰も耳を貸さない。
「冗談じゃないって、何が? 本気で“された”と思ってるの?」
笑いの中で、遥の頬を一筋の涙が伝う。
それを見た女子が呟く。
「泣くんだ、そういうときだけ」
冷たい目が一斉に向けられる。
「ねえ先生、こいつ本当に気持ち悪いですよ。泣くときだけ人間ぶる」
その言葉に、遥の指先が震えた。
何も言い返せない。言葉を出した瞬間、また傷つくと分かっているから。
沈黙が、もう一つの屈服だった。
その沈黙を、彼らは楽しんでいた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!