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――翌日。
オフィスに出社した透也は、退職した社員の代わりに臨時で総務を担当している男性社員のもとへ向かい、声をかけた。
「野村くん、応募状況はどう?」
「山ほど来てますよ~。一人じゃ処理しきれません」
「ちょっと見せて……」
机の上には、華やかな容姿の女性の写真が貼られた履歴書が、山のように積まれていた。
写真はどれもプロに撮影してもらったのだろう。モデルのように澄ました表情ばかりだ。
女性だけでなく、男性からの応募も多い。
透也のファンドに入れるなら、職種など問わない――そんな勢いが感じられた。
この会社は滅多に欠員が出ないため、募集をかけると「今だ」とばかりに応募が殺到する。
中には、毎回見かける常連の名前もあった。
履歴書を一枚ずつめくっていた透也の手が、ふと止まる。
「いい人材、いそうですか?」
「ん? あ、ああ……」
透也が手にしていたのは、夏帆の履歴書だった。
それに、真剣に目を通す。
「それにしても、急に基本給を上げろって言うから驚きましたよ。元の給料でも他社より十分高いのに、さらに追加でって……。今度入ってくる子は、本当にラッキーですよ」
「なるべく長くいてもらいたいからね。それに、できれば優秀な人材がいいだろう?」
「たしかに……」
IP対応と総務の仕事を同時に任されている野田は、早く自分の本来の業務に戻りたくて、そう答えた。
「あ……それと、面接は明後日の午前からですので、よろしくお願いします」
「うん、分かった」
透也は履歴書の束を机の上に戻すと、機嫌よさそうに自分の席へ戻っていった。
そのころ、夏帆はふたたび求人情報サイトを眺めていた。
ひとつ応募は済ませたが、受かるとは思っていない。
だから、すぐ次を受けられるよう、いくつか候補をピックアップしておきたかった。
「それにしても、あの会社ほど条件のいいところなんて、ほんとないわ。どれもかすんで見える。でも、文句は言ってられないわよね。早く決めないと路頭に迷っちゃう……」
ぶつぶつ独り言をいいながら、夏帆は両手を上に上げて大きく伸びをした。
(そういえば、駿介は写真集送ってくれたのかな? 全然こないけど……)
面倒くさがりの駿介のことだ。送られてこない可能性は十分ある。
もちろん夏帆も、それは覚悟していた。
“Transparent Investment”に合格さえすれば、二万四千円の写真集くらい余裕で買える。
マンションの家賃も下がり、物価の安い地域へ引っ越したし、駿介との付き合いで余計な出費もない。
生活費は前よりもかなり抑えられているし、貯金も以前よりはできるはずだ。
(ホスト業でいっぱい稼いでるお隣さんだって、こんな地味なマンションで節約してるんだもの。それに彼は、このマンションの家賃収入だってある……私も見習わないと)
夏帆は今度就職したら、絶対にお金を貯めようと心に誓った。
その日、透也は珍しく夕方帰宅した。
先日の大相場で、巨額の利益を得たため、今月は多少サボっても余りあるほどだ。
ここ最近働き過ぎだったので、あえて仕事をセーブしようと思っていた。
投資の世界で生きながらえていくには、健全な精神と健康な肉体が必要だ――透也は常にそう考えている。
タクシーを降りた透也は、スーパーの袋を手に提げてマンションのエントランスへ向かった。
今夜は久しぶりに得意の手料理を作るつもりだった。
こう見えても、彼は料理の達人だ。
仕事柄、顧客との接待で美味しい店に行くことが多く、そこで料理人から作り方を聞くのが常だった。
それを自宅で再現するのが、彼の唯一の癒しタイムでもある。
今夜は、昨日夏帆と行った店のビーフシチューに挑戦するつもりだった。
舌がまだ味を覚えているうちに、どうしても作ってみたかった。
(上質な赤ワインをたっぷり入れて、しっかり酸味を飛ばすこと。あとは、国産牛の質にもこだわったほうがいいって言ってたな)
あの日、夏帆が化粧室に立った隙に、透也はそっとシェフへ声をかけ、こっそりと作り方を尋ねていた。
店の味に少しでも近づけようと、レストランで使われていたものと同じ高級和牛まで用意した。
これなら、かなり近い味になるはずだ。
部屋に戻ると、さっそくエプロンをつけて料理を始めた。
一時間後。
鍋の中では、上質な和牛がコトコトと煮込まれていた。
室内にはおいしそうな香りが漂っている。
シェフのアドバイス通りに作ったら、いい感じに仕上がってきた。
あとは、もう少し煮込むだけだった。
そのとき、インターホンが鳴った。
通販の荷物は頼んでいないので、宅配業者ではない。
となると、セールスだろうか。
しかし夕方のこの時間に来るのは不自然だ。
透也はインターホンのモニターを確認し、絶句した。
そこに映っていたのは――伊坂駿介だった。
「まじか! 本当に来やがった!」
思わず声が漏れる。
再びインターホンが鳴った。どこか苛立ったような音だった。
透也は慌てて携帯を手に取り、夏帆に電話をかけた。
初めて夏帆にかける電話がこれなのは少し残念だったが、仕方がない。
その頃、夕飯の買い出しに出かけようとしていた夏帆は、バッグの中で携帯が鳴ったため、玄関前で足を止めた。
「誰だろう?」
画面を見ると、透也の名前が表示されていた。
「ええっ! まさかのお隣さん?」
驚きと同時に、嫌な予感が胸をよぎる。
「まさか……」
慌てて電話に出ると、透也の声が響いた。
「夏帆ちゃん、ごめん。今、ちょっといい?」
「はい。ちょうど買い物に出ようとしてたところでした」
その言葉を聞いた透也は、慌てて叫んだ。
「ダメダメ! 今出ちゃダメだよ! 下に伊坂が来てるんだ」
「ええっ!」
夏帆はぎょっとした。
「写真集を持って来たんだと思うけど、ついでに俺たちの関係を確かめにきたのかもしれない」
「そんな……」
「だから、買い物はちょっと待って。追い返したらまた連絡するから」
「わ……分かりました」
夏帆は心臓をドキドキさせながら、透也にすべてを任せることにした。
そして心の中で叫ぶ。
「なんで自分から振っておいて、私に執着するのよっ! 本当にあの人は、恋人の扱いが部屋の中の物と同じね。買った瞬間だけ満足して、あとは放置。そのくせ、いざ見当たらないと、“ないない”って騒ぎだすんだから。まったく、困った人だわ」
吐き捨てるように言うと、夏帆はあらためて住所を教えなくてよかったと心から思った。
コメント
10件
やっぱり来た…😳 透也さん連絡くれて良かった ε-(´∀`;)ホッ 透也さんに追い返してもらって、 ビーフシチュー一緒に食べよ🤭︎ 透也さん、ぜひお誘いを✨️ 勝手な妄想膨らんでます🤭︎ 料理もできるなんて素敵😍
あのままだったら、駿介に見つかってたよ〜😅わざわざ持ってくるなんて…
透也さんの機転効かせた電話📱で夏帆ちゃんギリセーフ👍 でも危なかったねー⚠️(゚o゚;; いきなり突撃する駿介って本当に常識知らず😡💢