引越しから三日後、瑠璃子は気分の良い朝を迎えていた。
新生活のスタートは小綺麗な住み心地の良いマンション、そして新しい家具や家電に囲まれて始まる。全てが真新しい。
中沢との思い出が何もない部屋は思っていた以上に快適だった。
東京では無気力な瑠璃子だったがこちらへ来てからは徐々にいつもの元気を取り戻しつつあった。
そしていよいよ今日は車を取りに行く。
瑠璃子は朝から張り切って家事を終えると早速出かける準備を始めた。
今日は運転をするのでジーンズにスニーカーで行く事にする。
伊藤モータースへ行くと店の前にはピカピカに磨かれたピンクの車が置いてあった。
新しいナンバープレートをつけ、瑠璃子が迎えに来るのを待っていた車を見るとなんだか胸が熱くなる。
「ピンク色って言っても上品な桜色でなかなか可愛いじゃないの」
気持ちが前向きになっている瑠璃子はもう色の事など大して気にならなくなっていた。
瑠璃子が店に入ると店長の伊藤が出迎える。
「お待ちしておりました」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。どうぞお掛け下さい」
瑠璃子が椅子に座った時、奥から30代半ばくらいの女性が出て来た。
おそらく伊藤の妻だろう。
「いらっしゃいませ」
女性は挨拶をすると淹れたてのコーヒーを瑠璃子の前に置いた。
「ありがとうございます」
「あ、家内の百合子(ゆりこ)です。この前はいなかったから初めてでしたよね?」
「はい、村瀬です、お世話になります」
「伊藤の家内の百合子です」
二人は笑顔を交わす。
そこで百合子が瑠璃子に聞いた。
「東京からいらしたんですってね。私、大学が東京だったんですよ」
「え? そうなんですか? 東京のどちらに?」
「大学は渋谷区で最寄り駅は表参道でした」
それを聞いて瑠璃子は驚いた顔をする。
「私も前の職場が表参道でした」
すると今度は百合子が驚く。
「あらー、すごい偶然だわー」
そこで二人はあっと言う間に意気投合した。
伊藤が書類を用意している間、女性二人は表参道の話に花が咲く。
色々話していると百合子が学生時代に行っていた店に瑠璃子もよく行っている事がわかった。
そこで更に盛り上がる。
すっかり打ち解けた二人は連絡先を交換した。そして後日お茶でもしましょうと約束をする。
その後車の引き渡し書類に瑠璃子がサインをすると車の鍵が瑠璃子に手渡された。
瑠璃子は感慨深げに鍵を受け取る。
「あの……実は車の運転は5年ぶりなので最初の発進の仕方だけ教えてもらってもいいですか?」
瑠璃子がおそるおそる聞くと伊藤は「もちろんです」と言って瑠璃子と一緒に車へ向かった。
まずは伊藤が運転席に座り一通りの操作を説明してくれる。
そして今度は瑠璃子が運転席に座りハンドルを握った。
「不安でしょうからこの辺りを一周してみますか?」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
瑠璃子は伊藤の申し出に感謝の気持ちでいっぱいになる。いきなり一人で運転して帰るのは不安だったからだ。
伊藤はその事を妻に伝えに行ったが百合子は電話中だった。仕方なく伊藤はそのまま引き返して来たが途中新たな客に捕まってしまう。
(忙しそうでなんか申し訳ないな……)
そう思った瑠璃子は窓を開けて叫んだ。
「あの、多分大丈夫ですから……」
瑠璃子は伊藤に会釈をしてからそのまま車を出そうとした。
その時瑠璃子の車の隣にシルバーメタリックのSUV車が勢いよく停まる。瑠璃子はその車に見覚えがあった。
その車から出て来たのは先日飛行機で一緒に救命処置を行った大輔だったので瑠璃子は驚く。
大輔と目が合った瑠璃子は咄嗟に言った。
「先日はありがとうございました」
大輔は一瞬驚いた顔をしたがすぐに、
「いえ」
と返事をした。そこへ伊藤が近付いて来て言った。
「もしかして二人とも知り合い? だったら大輔、彼女の車に一緒に乗ってやってくれないか? 彼女運転は5年ぶりらしい。この辺りを一周したら多分慣れるだろうから」
伊藤はそう言い残すと待たせている客の元へ戻って行った。
瑠璃子はなんだか申し訳ない気がしたのでやんわりと断る。
「多分大丈夫ですから」
瑠璃子はそう言ってから軽く会釈をすると車を出そうとアクセルを踏んだ。
しかし車は音だけを立ててその場に停車したままだ。瑠璃子はギアをニュートラルにしたままアクセルを踏み込んだので空ぶかしになってしまったようだ。
なんとも心許ない瑠璃子の様子に見かねた大輔が口を開く。
「ちょっと失礼」
大輔はすぐに助手席に乗り込んで来た。
途方にくれていた瑠璃子は申し訳なさそうに謝る。
「すみません」
「気にしないでいいですよ。じゃあ通りを少し走ってみましょうか。まずはブレーキを踏んだままギアをドライブに入れて下さい」
瑠璃子は言われた通りにする。
「昔の車とは違いアクセルを踏み込めばサイドブレーキは自動的に解除になりますのでそのままゆっくりアクセルを踏み込んで下さい」
瑠璃子は頷くとおそるおそるアクセルを踏み込む。すると車はゆっくりと発進した。
車が動き始めると瑠璃子は少し勘を取り戻したようで歩道手間で一時停止をしてから大通りへ出た。
「左へ曲がりましょう」
大輔の指示通りに左折する。そして車は真っ直ぐ走り始めた。
「あ、運転しやすい」
瑠璃子は呟いた。すると大輔は穏やかに言った。
「昔の車と比べたら段違いで運転は楽だと思いますよ。じゃあ次の信号を左折してみましょうか」
瑠璃子は頷くとウィンカーを出し左後方を確認してからゆっくりと左折する。
そしてまた通りを真っ直ぐに走り始めた。
その工程を何度か繰り返しているうちに車の動きは段々スムーズになってきた。
だいぶ慣れてきた頃、二人が乗った車は伊藤モータースの前に到着した。
ハザードランプをつけて道の脇に車を停めた瑠璃子は大輔に礼を言った。
「多分もう大丈夫だと思います。ありがとうございました」
「いえ、じゃあ気をつけて」
大輔は助手席から降りてドアを閉める。
瑠璃子はウィンカーを出した後そのまま通りを進んで行った。
車が問題なく進んで行くのを見届けた大輔は伊藤の店へ入って行った。
客の応対を終えた伊藤が大輔の傍に来て言った。
「大輔、助かったよ、ありがとう」
そこへ妻の百合子がコーヒーを持ってきた。
「大輔さん助かりました。彼女運転不安そうだったから良かったわ」
「で、なんで彼女と知り合いなんだ?」
伊藤は興味津々といった様子で聞く。
そこで大輔は先日同期の佐川に話した事をもう一度伊藤に話した。
「へぇーそんな偶然があるのねぇ。だってこれから同じ病院で働くんでしょう?」
百合子はかなり驚いているようだ。そこへ夫が言う。
「まあ狭い街だからそんな偶然もあるんだろう」
「でも彼女が大輔さんと同僚になるなんて嬉しいわ。だって私達さっきお友達になったんですもの」
「そうなんですか?」
「うん、そう。彼女の前の職場が私が通っていた大学のすぐ傍だったのよ。それで意気投合しちゃった」
百合子は嬉しそうだ。
「百合子は東京が好きだからなぁ」
伊藤が笑いながら言うと百合子はムキになって言う。
「違うわ、好きっていうよりも懐かしいの。だって地元のお友達とは東京の話なんて出来ないんですもの」
それから大輔は伊藤に取り寄せてもらっていた冬タイヤを車に積んでから店を後にした。
帰る途中ドラッグストアの前を通ると、店の前の駐車場には見覚えのあるピンクの車が停まっていた。
先ほど大輔が乗った瑠璃子の車だ。
ピンクの車は駐車場の白線から大きくはみ出して斜めに停まっていた。
それを見た瞬間大輔はハハッと声を出して笑った。
「車庫入れの練習も必要だったな」
大輔は可笑しくて笑いが止まらず笑顔のままハンドルを握り続けた。
それは普段あまり笑顔を見せない大輔が久しぶりに見せたさわやかな笑顔だった。
コメント
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♡♡♡ストアに斜めに停まったピンクの車🚗。 瑠璃ちゃん、悪目立ちしちゃいましたね~🤭 しかも、バッチリ大輔先生に見られちゃいましたね😄
瑠璃ちゃんが羨ましぃ〜😚私もペーパードライバーなので誰か助手席で優しく教えてくれないかなぁ?(クールなイケメン希望😝)
お友達できて良かった(*^_^*) 先生ともお友達?まずはお友達から?(笑)ꉂ🤣𐤔 早くデートにさそいましょ❤( *´艸`)