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土曜の午後、柔らかな陽射しが春めいた匂いを運んでくる。
隼人は玄関のドアを閉めた瞬間から、胸の奥がざわついていた。
 ――今日こそ。
 言葉にはしないが、何度も同じ決意が胸の内で響く。
 リビングには、萌絵と涼が腕まくりをして待っていた。
 「よし、作戦開始だね」
 萌絵がウキウキした声で宣言する。
テーブルには風船、ガーランド、紙吹雪、そしてケーキ。
涼が「時間との勝負だな」と笑うと、隼人も「頼むぞ」と頷いた。
 その頃、柊は予定どおり大地を連れ出していた。
「駅前で映画でも」とだけ言って。
大地は何の疑いもなく「いいね」と笑ったらしい。
 隼人は風船を膨らませながら、柊から届いたメッセージを何度も確認する。
 【あと一時間で戻る。順調】
 短い文字の奥に、あいつ特有の余裕が見える。
焦れったいほど落ち着いたその文章に、隼人は自然と肩の力が抜けるのを感じた。
 飾り付けが進むにつれ、部屋はまるで色とりどりの祭壇のように変わっていく。
萌絵は窓辺に星形のライトを吊るし、涼はケーキの上のチョコプレートを慎重にセットする。
 「これなら驚くよね」
 「絶対びっくりする」
 二人の声が弾む。
 隼人は、最後の風船をテーブルに結びながら時計を見た。
あと十五分。
指先が冷たくなり、心臓の鼓動が耳に響く。
今日はただの誕生日じゃない。
彼に伝えたい言葉を、やっと口にする日だ。
 玄関のドアがかすかに開く音がした。
 「戻ったぞー」
 柊の声だ。
隼人たちは一斉に灯りを消し、息をひそめた。
靴を脱ぐ音、笑い声――そして、
 「ただいま!」
 大地の声が響く。
 その瞬間、クラッカーが鳴り、電気が点く。
 「大地、誕生日おめでとう!」
 萌絵と涼の声が弾け、紙吹雪が舞う。
 大地は文字どおりその場で固まった。
目を瞬かせ、唇を震わせながら
 「え……これ……」
 柊が肩を押して笑う。
 「お前のために決まってんだろ」
 ようやく状況を飲み込んだ大地が、顔をほころばせた。
 「……ありがとう!」
 大きな笑顔が、部屋いっぱいに広がる。
 その笑顔を見た瞬間、隼人の胸の奥に熱がこみ上げた。
あの日からずっと、何度も胸の内に繰り返してきた言葉が、
喉元までせり上がる。
 みんながケーキに火を灯し、ハッピーバースデーを歌い終える。
蝋燭の炎がゆらめく中、大地は目を閉じて願い事をした。
静かな空気。
その横顔が、隼人には眩しすぎる。
 ――今だ。
 けれど唇が動かない。
心臓がやかましく鳴る。
 柊がさりげなく隼人の背を軽く叩いた。
「お前の番だ」と、言葉にならない合図を送るように。
 隼人は小さく息を吸った。
胸の奥で、長く温めてきた言葉が形になる。
だが、その一歩を踏み出すまで、もう少しだけ時間が必要だった。
 賑やかな笑い声に包まれた部屋で、
隼人はそっと大地を見つめながら、
その瞬間が必ず訪れると、強く信じていた。