店の照明は、いつ来ても同じ色だ。
柔らかくて、
少しだけ現実から遠い色。
ナナは今日も笑っている。
特別なことはしていない。
グラスを拭いて、
誰かの冗談に笑って、
相槌を打つ。
それだけだ。
それだけなのに、
視界に入る回数が多い。
意識しているつもりはない。
ただ、
目が行く位置にいるだけだ。
——いや。
違うか。
いる位置を、
無意識に追っている。
「珍しいね、黙ってるの」
向こうから言ってきた。
軽い声。
軽いトーン。
軽い距離。
「いつもだろ」
「そうだっけ」
そう言って笑う。
笑い方は、
誰に向けても同じはずなのに、
向けられると少し困る。
困る理由は分かっている。
分かっているから、
言わない。
「今日、静か」
「元々静かだよ」
「んー、そういう意味じゃなくて」
意味を補足しない。
それ以上踏み込まない。
この距離感が、
この店の正解だ。
ナナも分かっている。
だから、
踏み込まない。
グラスを置く。
手が少し触れる。
偶然。
完全に偶然。
なのに、
一瞬だけ止まった。
ナナは何も言わない。
こちらも何も言わない。
何も起きていない時間が、
数秒ある。
「ありがと」
先に離れたのは向こうだった。
いつも通り。
全部いつも通り。
他の席に行く。
笑う。
冗談を返す。
誰に対しても同じ。
——同じ、のはず。
グラスの水滴が残る。
指先に冷たさが残る。
その程度のことを、
覚えているのが面倒だ。
別に、
特別な客じゃない。
特別な関係でもない。
ただ、
ここに来る理由の中に、
名前をつけなくていい何かがあるだけだ。
呼ばれれば行く。
呼ばれなくても来る。
それだけの距離。
それだけのはず。
ナナが、
こちらを見ていないときだけ、
視線が行く。
見ているときは、
見ない。
それが
ちょうどいい。
ちょうどいい、
ままでいられるなら。






