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「……これくらい、普通だよなって」
言いながら、自分でも曖昧だと思った。
普通って何だ、って話なのに。
「もっと大変な人いるし」
続けて、少し早口になる。
「自分なんて、まだマシだし」
日下部は椅子の背にもたれず、前のめりのまま聞いている。
「だからさ」
指先を握る。
「しんどいって思った瞬間に、引っ込める」
「引っ込める」
「うん。“甘えるな”って」
日下部は小さく息を吐いた。
「それ、誰の声だ?」
「……自分」
「ほんとか?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……昔、言われた気もする」
「だろ」
断定でも責めでもない。
ただ、整理するみたいな声。
「“普通”って便利なんだよ」
日下部は指で机を軽く叩く。
「比べられるし、黙らせられる」
「黙らせる?」
「自分をな」
胸の奥が、きしっと鳴る。
「しんどいって感覚が出てきても、
“まだいける”“これくらいで弱音はダメ”。 そうやって上書きする」
「……うん」
否定できなかった。
「で、どうなる?」
日下部は続ける。
「……分かんなくなる」
「何が?」
「どこからが限界なのか」
声が小さくなる。
「気づいたときには、結構やばい」
日下部は、ゆっくり頷いた。
「それな」
少し間を置いて。
「我慢が得意な人ほど、壊れるの遅い」
「遅い?」
「壊れるって自覚するのが、な」
一瞬、背筋が冷える。
「周りから見るとさ。
ちゃんとしてる。耐えてる。大丈夫そう」
日下部は言葉を並べる。
「だから止められない」
「……」
「で、本人だけが、“おかしい”って感覚を後回しにする」
沈黙。
その通りすぎて、言葉が出ない。
「“普通”ってさ」
日下部は少し考えてから言った。
「平均じゃない」
「え」
「“その人が、壊れずにいられる範囲”」
その定義は、初めて聞いた。
「他人がどうとか関係ない。
昨日の自分より、今日はきついかどうか。
それだけ」
「……でもさ」
弱い反論が出る。
「それ認めたら、逃げになる気がする」
日下部は、少しだけ苦笑した。
「逃げと区別つかなくなるくらい、
ずっと踏ん張ってきたってことだろ」
「……」
「楽したいから言ってるんじゃない。
限界が見えなくなってるだけ」
その言い方は、庇うでも甘やかすでもない。
事実を置いていく感じだった。
「じゃあ、どうすればいい 」
自分でも必死な声だと思った。
日下部は即答しなかった。
少し考えてから、言う。
「“これくらい普通”って思ったら、
一回、逆の質問しろ」
「逆?」
「“これ、他人が言ってたらどう思う?”」
想像する。
友達が同じことを言っていたら。
「……無理しすぎって思う 」
「だろ」
日下部は軽く頷く。
「それが答えだ。
自分だけ、例外扱いするな」
胸の奥が、じわっと痛む。
「自分のしんどさを」
日下部は続ける。
「評価制にするな」
「評価制」
「上とか下とか、まだマシとか」
少し間を置いてから。
「しんどいは、事実。
それ以上でも以下でもない」
静かな言い切りだった。
「……認めたら、楽になる?」
「すぐにはならない」
正直な答え。
「でもな」
日下部は視線を合わせる。
「限界が分かるようになる。
限界。
そこが分かんないのが、一番危ない」
沈黙。
でも、頭の中が少し整理された感じがした。
「……じゃあさ」
声が、ほんの少し前を向く。
「“普通”って言葉、使ってもいい?」
「いい」
即答。
「ただし」
一拍置く。
「自分を黙らせるためじゃなくて、様子見るためにな」
「……様子見」
「今日の自分は、どこまでなら大丈夫か」
それなら、できる気がした。
日下部はそれ以上言わなかった。
でもその沈黙は、「引っ込めなくていい」の余白だった。