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昼下がり。
チャイムが鳴り終わっても、教室の空気はどこかざわついていた。
前の方で、誰かが笑い声を上げる。
笑っているのは蓮司。その周りに、数人の男子がいた。
「なあ、昨日の続きしようぜ」
誰かがそう言って、机を軽く蹴った。
乾いた音が響く。
その音に、遥の肩がわずかに跳ねた。
「なに?ビビってんの?」
蓮司が笑う。
その声に呼応するように、笑いがいくつも重なる。
教室の後ろ隅。
逃げ場なんて、最初からなかった。
椅子の脚が床を引きずる音。
誰かが遥の鞄を蹴り飛ばした。
中身が散らばり、ノートが開く。
ページの隅に、かすれた「ごめん」の文字。
蓮司がそれを見下ろして、鼻で笑った。
「まだ持ってんの?それ」
拾おうとした手を、誰かが叩き落とす。
「ほら、拾えよ」
「“ごめん”だって。誰にだよ」
蓮司の声は、笑っているのに低い。
その軽さが、逆に寒気を呼ぶ。
日下部はその光景を、教室の隅から見ていた。
拳を握りしめても、立ち上がれない。
心臓の音だけが、耳の奥でうるさく響いていた。
──蓮司の言葉が、まだ頭の中に残っている。
“あいつの無自覚は暴力だろ”
“守っても、お前が傷つくだけだ”
そう言われたとき、反発できなかった。
自分が正しいと思うことが、何を壊すか知ってしまったから。
だから、動けない。
動かない。
それが、いちばんの裏切りだと分かっていても。
「おい、拾えって」
蓮司が笑いながら、ノートを足で蹴る。
それがまた床を滑って、日下部の足もとまで転がってきた。
目が合う。
遥の手が、震えながら伸びてくる。
その指先が触れる前に、日下部はほんの一瞬、足を引いた。
ほんの一瞬──それだけの動作が、教室中の笑いを呼んだ。
蓮司が、楽しそうに言う。
「ほらな、これで完成だ」
遥は何も言わなかった。
笑い声の中で、ただノートを拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった。
その目は、どこにも焦点を結ばず、それでも逃げなかった。
教室の空気が、わずかにひずむ。
それが、再び“地獄”が回り出す音だった。