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「三年前の件と似ているわね」
不意にヴィットリアーナが言った。
ロビサの肩が強張る。
「……何がです」
「上へ行くはずの文書が、途中で切り刻まれている。記録の順路が意図的に乱されている」
「その話を、今ここで持ち出すんですか」
「必要だからよ」
必要。その言葉は正しい。正しいからこそ、腹の底へ刺さる。
三年前。被害記録局の保管庫で、鬼害の封印記録が一部すり替えられたことがあった。担当補助に入っていたロビサへ疑いが向き、学院でも局でもひどい視線を向けられた。あの日、真犯人が誰なのか、ヴィットリアーナは気づいていた。ロビサは知っている。なぜなら、彼女は真犯人が落とした印章片を、誰にも見せずに拾い上げたからだ。そのあとで、何も言わなかった。
「必要なら、そのときも言えばよかったでしょう」
ロビサの声は自分で思ったより平らだった。
「あなた、見ていたわよね」
ヴィットリアーナの指先が、書類の端で止まる。
「何を」
「とぼけないで。保管庫の床に落ちた印章片。あれを拾ったの、あなたでしょう」
「……」
「あなたは気づいてた。私じゃないって。なのに黙った」
部屋の空気が、しんと狭くなる。
ハディジャが横目でロビサを見たが、口は挟まなかった。
ヴィットリアーナは短く息を吸った。
「証拠として弱かった」
「弱かったから見捨てたんですか」
「そういう言い方は」
「じゃあどう言えばいいんです。私は、あのあと半年も局の中で泥棒みたいに扱われた。現場へ出るたび背中で囁かれた。それでも仕事を続けられたのは、あなただけは知ってると思っていたからです」
言葉の勢いに、自分でも驚く。
止めるつもりだったのに、止まらない。
「でも違った。あなたは知っていて、黙った。ただそれだけ」
「ロビサ」
ヴィットリアーナが初めて、職務の声ではなく名前で呼んだ。
「私は、あのとき――」
「言い訳は聞きたくない」
ロビサは立ち上がった。椅子の脚が硬い音を立てる。
胸の奥へ、三年分の冷えが一気に流れ込んでくる。
「あなたが一番嫌い」
声は震えなかった。
震えなかったせいで、なおさら本当らしく響いた。
ヴィットリアーナはしばらく何も言わなかった。長い睫毛の影が頬へ落ち、握った羽根筆の先だけがわずかに揺れる。やがて彼女は、机の上の証拠袋へ視線を落とし、静かな声で言った。
「……聴取を続けるわ。感情はあとで処理して」
「その言い方が大嫌いなのよ」
「知ってる」
「知っていて、いつもそうする」
「そうしないと、私のほうが崩れるからよ」
最後の一言だけが、かすかに掠れた。
けれどロビサは、その意味を掴みに行けなかった。行けばまた、許してしまいそうだったからだ。
沈黙を破ったのは、意外にもハディジャだった。
「なあ、監査官殿」
「何」
「今の聞いてて思ったけど、あんたら、仲悪いわりに相手の癖を知りすぎてるな」
「黙っていて」
「はいはい。でも、黙る前に一個だけ。これ、さっきから気になってた」
彼が顎で示したのは、回収した紙片のひとつだった。文字そのものではなく、余白の角に入った小さな印。監察院の灯りへ透かすと、ごく薄く花弁のような癖がある。
ヴィットリアーナが布手袋をはめて持ち上げる。
「装飾じゃない。筆圧の返りね」
ロビサは思わず身を乗り出した。紙へ近づいた瞬間、胸の奥で何かが小さく鳴る。
見覚えがあった。
母の字だ。
昔、まだ記録局へ入る前、家の台所には買い物覚えや薬草の配合メモがよく置かれていた。母は達筆ではなかったが、長い筆画を止めるときだけ、必ず最後が花弁のようにふくらむ癖があった。煮込みの時間、洗濯の順番、たまに置かれた『夜更かしをしないこと』の一言。そのどれにも同じ小さな返りがあった。
「……似てる」
ロビサはそう言ったきり、喉が動かなくなった。
「誰に」
ヴィットリアーナの問いへ、答えるのに一拍かかった。
「母の字に」
ハディジャの表情から軽さが消えた。ヴィットリアーナはすぐに別の紙片と並べ、筆の入り方、止め方、線の揺れを見比べる。机の引き出しから取り出したのは、古い人事録の写しだった。元記録官の登録簿。そこにはロビサの母の署名がある。
線を重ねるように見比べたあと、ヴィットリアーナは低く言った。
「断定はまだできない。でも、偶然で片づけるには似すぎている」
「じゃあ母は……この封書に関わっていた?」
「関わっていた可能性が高い」
「どうして、今になって」
「それを調べるために、次の押収品を見る」
彼女は側机の封筒から、川沿いの倉庫で押さえた荷札の関連資料を出した。倉庫群の複製図だった。原本を写した粗い図面で、通路と荷置き場の配置が墨で描かれている。だが一部の線だけ、不自然に濃い。あとからなぞられた跡だ。
【続】