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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
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数日後、経営会議に上がった企画概要の共有資料が回ってきた。
クリストルンは何気なくページをめくり、次の瞬間、指先の感覚をなくしかけた。
親子コミュニケーション支援玩具試案。
概要欄には、自分が書いたのとよく似た言葉が並んでいる。
録音機能、短いメッセージ、ぬいぐるみ型。
だが、発案者の欄にはこうあった。
企画部共同案
中心立案 経営企画室 エドワイン
「……何これ」
声が勝手に漏れた。
ルチノが資料を見て、顔をしかめる。
「もう回ったのか」
「知ってたんですか」
「昨日の夜、差し替えが入った」
「差し替えって、私の名前が消えてます」
「分かってる」
分かっていても、どうにもならなかったという顔だった。
それが、余計に苦しい。
クリストルンは資料を握りしめた。
「私、最初の会議で言いました。ノートにも書いてます。試作の調整だって」
「落ち着け」
「落ち着けません」
会議室の前を通ったペトロニオが、ただならぬ空気に足を止める。
「どうしたの」
「どうしたもこうしたもないです」
資料を差し出すと、ペトロニオの笑顔が消えた。
「……ああ」
「その“ああ”は何ですか」
「社内では、ときどきある」
「困ります」
「うん、困るね」
軽く言っているようで、目は笑っていなかった。
クリストルンはそのまま経営企画室へ向かいそうになったが、ルチノが腕をつかむ。
「今行っても、証拠不十分で潰される」
「でも」
「怒るなとは言わない。だが今は耐えろ」
その声には、自分にも言い聞かせているような苦さがあった。
クリストルンは唇をかむ。
悔しい。
自分の中から出てきたものが、会社の言葉に塗り替えられていく感覚は、思った以上に痛かった。
夕方、共有フォルダを開き直すと、ファイル名にさらに追記があった。
――発案経緯整理中。個人名の取り扱い注意。
まるで最初から、誰のものでもなかったかのような書き方だった。
名前を奪われるのは、言葉を奪われるより静かで、残酷だった。